『アンをめぐる人々』の裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/28 17:23 UTC 版)
「アン・ブックス」の記事における「『アンをめぐる人々』の裁判」の解説
『赤毛のアン』を出版したボストンの L.C.ページ社はモンゴメリとの契約が切れていたにも関わらず『アンの友達』の時点ではボツとした短編を集め新たな本を出す事を1918年に提案した。完成度の低い初期の作品が自分の名前で出版され名声を損ねると考えたモンゴメリは訴訟も辞さないと伝えたところ、ページ社は紛失したので返せないと主張していた原稿が、今度は発見されたと主張し1920年に『アンをめぐる人々』として出版した。表紙には赤毛の少女の絵が大きく印刷されアンの本であるかのような印象を偽り伝える物であった。差し止め命令に関わらず出版された本には「赤毛のアンの主人公の故郷であるアヴォンリーと人物や出来事で多くの接点あり」「全てモンゴメリと関係あり」といったキャッチコピーが付けられボストンの法廷で争う事となる。裁判中モンゴメリは神経をすり減らしバルビタールを毎晩服用しなければ眠れない程であった。裁判の争点は表紙の赤毛の少女がアンのイメージを盗用したかどうかに向けられてしまい、法廷闘争が終わると報復に名誉毀損で告訴され、そちらでもページ社を相手に争わねばならなかった。 モンゴメリは1938年12月28日の日記の中では『アンをめぐる人々』はページ社が無断で出版したものであるとして自分の作品に含めることを拒絶している。
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