「軌道自動車」時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 14:10 UTC 版)
海外と同様日本においても黎明期の気動車は自動車を参考に製作された。日本で最初の内燃動車といえる矢沼商店が販売を目的に製作した車輛も自動車を改造して鉄道用の車輪を付けたものだった。しかし、この車輛は当時需要のあった軽便鉄道に導入するのは構造上難しく、結局実際に地方の鉄軌道で運行された内燃動車は自動車のエンジンを利用しつつも鉄道用に台枠と車体を新製した車輛が大半である。車体に当時のバス工法をとりいれた車輛も日本自動車が多摩湖鉄道に納入した車両(ジハ1・2)に採用されたと推測される程度にとどまっていて、日本車輌製造が軽便鉄道に納入した一見当時のバスにそっくりな外観をもつことから「乗合自動車(バス)型」と呼ばれる単端式ガソリンカーも台枠・車体とも鉄道車両工法で製作されている。このため、どこまでがレールバスなのか定義するのは難しく定説はない。ただ「レールバス物語」の発表以降、片運転台式で逆転機をもたず、折り返しには方向転換が必要な単端式ガソリンカーをレールバスとして扱うことは大方で一致した見方である。
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