「節制」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/03 11:24 UTC 版)
洋一 主人公。下宿に住んでいるが仕送りの無駄遣いか増え、節約するため一ヶ月間カップラーメンでの食生活を始める。
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「節制(思慮の健全さ)」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 19:38 UTC 版)
「カルミデス」の記事における「「節制(思慮の健全さ)」」の解説
本篇では、「節制(思慮の健全さ)」という概念の明確化を巡って、少年カルミデスと青年クリティアスを相手に、ソクラテスによる執拗な追及・問答が繰り広げられる。 作中、「節制(思慮の健全さ)」の定義として、 「一種のもの静かさ」 (← ソクラテス「「速さ・鋭さ」の方が「静かさ」より見事」) 「恥を知る心」 (← ソクラテス「「恥を知る心」は必ずしも善いこととは限らない」) 「自分のことだけをする (余分なことをしない) こと」 (← ソクラテス「社会的営みが成り立たなくなる」)「美しくて利益になるようなものだけを作ること」 (← ソクラテス「思慮の健全さのはずなのに、それでは無自覚なこともある」) 「自分自身を知ること」 (← ソクラテス「それ自体と異なる何についての知なのか」)「唯一それ自身についての知であり、他の色々な知についての知」 (← ソクラテス「単に、「「知っているか、知らないか」を、知るだけのもの」に過ぎない」) 等が提示されるが、ソクラテスの執拗な追及によって、ことごとく提示された諸定義の欠陥が顕にされ、堂々巡り・行き詰まり(アポリア)に陥ってしまう。 保守的な人々によって好まれ、伝統的に主要な徳目(枢要徳)の1つとして扱われてきた「節制(思慮の健全さ)」だが、『パイドロス』や『政治家』といった中期・後期対話篇において、「節制(思慮の健全さ)」が「(真・善・美を欲求するエロース的な)狂気」や「勇気」と対比され、消極的な位置付けが為されていることからも分かるように、プラトンの思想においては、「節制(思慮の健全さ)」という徳目それ自体は、それほど高い価値を付与されておらず、むしろ「状況追認的な怠惰さ・奴隷根性への頽落」を生み出し得るものとして警戒心を以って扱われており、基本的には「無知の知」の自覚を促したり、「(縦糸的な)勇気」の暴走に歯止めをかける(横糸的な)慎重さを生んだり、(『ゴルギアス』『国家』で述べられているように)無秩序的な「快楽」を従える「正義」を支えて秩序・調和をもたらすものといった程度の、補助的な役割・機能として扱われている。(なお、「節制」と「正義」の近しい関係については、下述する「自分のことだけをする (余分なことはしない) こと」の項目を参照。) 本篇『カルミデス』の記述も、そうした「節制(思慮の健全さ)」への過大評価を指摘する内容となっており、他のアポリア的初期対話篇と同じく、究極的に重要なのは、「善悪を見極める知識」であることを示唆する構成となっている。 本篇と同様に、「節制(思慮の健全さ)」と「無知の知」について扱った作品としては、真偽の論争がある『アルキビアデスI』『アルキビアデスII』がある。
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