「春の目覚め」作戦と終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/11 03:20 UTC 版)
「第6SS装甲軍」の記事における「「春の目覚め」作戦と終焉」の解説
「ラインの守り」作戦が失敗に終わり、アルデンヌから撤退した第6SS装甲軍は再び戦力を消耗していた。第1SS装甲師団と第12SS装甲師団は海軍の兵士を含めた補充兵で兵員を9割(1万9000名)・装甲車輌は5割(90両)にまで回復はしたものの、自走榴弾砲が2門しかない師団があるといった状況であった。この時期、SS最高指導者であるハインリヒ・ヒムラーの権力で優先的に装備や兵員を得る事が出来た武装SSであっても、充分な戦力回復は望めなくなっていたのである。 だが、それでもSS第1装甲軍団は1945年2月にハンガリーでのソ連軍橋頭堡を攻撃する「南風」作戦に参加し、ソ連軍を撃退する事に成功した。東西から連合軍が迫り、ドイツ本国が危機に立たされた中で、ヒトラーはハンガリーにある小規模な油田保持の為にハンガリーで攻勢をかける事を決めた。「春の目覚め」作戦である。第6SS装甲軍は作戦前の偽装工作として各部隊に補充部隊や訓練部隊と言う偽の名称を付け、ハンガリーへ向かった。 春の目覚め作戦は3月6日から始まった。しかし雪解けの泥によって戦車や車輌の移動速度が鈍ったこと、ソ連軍も動きを察知して防御を固めていたことから、ドイツ軍の進撃は遅々として進まず、9日後の15日には幅50キロ、縦深300キロを確保した時点で作戦を中断した。こうしてドイツ最後の大規模攻勢は失敗した。ヒトラーはこの失敗に激怒して、第1SS装甲師団「ライプシュタンダルテ・SS・アドルフ・ヒトラー」の兵士から軍服の左袖の袖腕章を取り外せと命じているが、ディートリヒは取り合わなかったという。 第6SS装甲軍はハンガリーから撤退し、オーストリアで防戦を展開しつつ西へ向かった。5月8日から所属師団が米軍に降伏し、翌9日には創設から司令官を務めたディートリヒが米軍に降伏し、第6SS装甲軍はその歴史に幕を下ろしたのである。 表 話 編 歴 第二次世界大戦中のドイツ軍の編成 軍集団 A軍集団 · B軍集団 · C軍集団 · D軍集団 · E軍集団 · F軍集団 · G軍集団 · H軍集団 · アフリカ軍集団 · ドン軍集団 · クールラント軍集団 · リグリア軍集団 · 中央軍集団 · 北方軍集団 · 北ウクライナ軍集団 · オーバーライン軍集団 · オストマルク軍集団 · オストプロイセン軍集団 · 南方軍集団 · 南東軍集団 · 南ウクライナ軍集団 · チュニジア軍集団 · ヴァイクセル軍集団 · 西方軍集団 軍 第1軍 · 第2軍 · 第3軍 · 第4軍 · 第5軍 · 第6軍 · 第7軍 · 第8軍 · 第9軍 · 第10軍 · 第11軍 · 第12軍 · 第14軍 · 第15軍 · 第16軍 · 第17軍 · 第18軍 · 第19軍 · 第20山岳軍 · 第21軍 · 第24軍 · 第25軍 · アフリカ装甲軍 · ラップランド軍 · ノルウェー軍 装甲軍 第1装甲軍 · 第2装甲軍 · 第3装甲軍 · 第4装甲軍 · 第5装甲軍 · 第6装甲軍 降下猟兵軍 第1降下猟兵軍 関連項目 ドイツ空軍の編成 · 武装親衛隊の編成
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