「日米貿易摩擦」 〜1980年代後半から1990年代半ば〜
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「小宮隆太郎」の記事における「「日米貿易摩擦」 〜1980年代後半から1990年代半ば〜」の解説
1980年代-1990年代前半にかけて、日米間で最も懸案となっていたのが貿易摩擦である(日米貿易摩擦)。自動車・半導体に代表される日本製品の集中豪雨的な輸出に対し、双子の赤字に苦しむアメリカ側からは不満が噴出していた。一部の論者(「前川リポート」等)からは、「日本の経済構造の閉鎖性が莫大な貿易黒字を生んでいる」といった主張がなされ、日本の内需拡大・市場開放を求める圧力が年々強まっていた。そのような状況下において、小宮は、「アメリカの貿易赤字の主因はその貯蓄率の低さと財政赤字の多大さにある」というISバランス論を唱え、アメリカ政府の不穏当な圧力(経済制裁)を批判した。さらに小宮は、アメリカが円高圧力を強めてくるに際して、「円高によって、一時的に対日貿易赤字を減らせたとしても、一般均衡論的に解釈するならば、その分だけ日本のGDPが縮減され、ひいては円が切り下がることとなるので、結局のところ、当初の目的(対日貿易赤字縮小)を達成することは出来ない」と主張し、アメリカの政策の非論理性を明らかにした。また、日本の貿易黒字を悪と捉える風潮に対しても、小宮は「日本の貿易黒字の大部分は、海外に再投資されており(=資本赤字)、外国経済の振興に役立っている」とする「黒字有用論」を展開した。最後に小宮は、そもそもの話として、「アメリカのような経済大国が貿易赤字に一喜一憂するのがナンセンス」とし、その例証として、戦後長らく貿易赤字国でありながら、今なお一流先進国であり続けるカナダの存在を挙げた。要するに、「貿易=国際間における資源配分の最適化」という観点から、「貿易赤字=国家の衰亡」と捉える解釈は無意味であると主張した。
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