「二代・琴錦」襲名とは? わかりやすく解説

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「二代・琴錦」襲名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 16:38 UTC 版)

琴錦功宗」の記事における「「二代・琴錦」襲名」の解説

そうした努力実を結び始め初土俵から2年ほどで幕下昇進した。その一方で身体小さく新弟子時代周囲に名前を覚えてもらえず、「キミ「ぼく」呼ばわりされていたと言い幕下昇進後にようやく「マツ」という渾名付けられつつも、フルネームはそれでも覚えてもらえなかったという。この頃から琴ヶ梅と共に井筒部屋出稽古するようになり、逆鉾から「小さく中に入り羽ばたくように大きく広がりなさい。差す時には手の甲から入ること。背は伸ばせないから肩幅広げなさい。そうすると相手からは大きく見えるから」と指導受けた。 西幕下5目で迎えた1987年昭和62年9月場所11代・佐渡ヶ嶽四股名である「琴錦」へ改名した当時鏡山部屋序ノ口力士同音の「虎勝錦」が在籍していたために本来は改名できないはずだったが、佐渡ヶ嶽より鏡山懇請し違い譲ってもらい、改名果たしている。実は琴錦の名は松澤自身入門する直前友人考えていた四股名と全く同一で、11親方相撲の型(容貌性格も)が似ていたと言われ11親方夫人許し得たのだった。しかし松澤本人は、「琴錦」の名が11親方現役時代四股名だったとは全く知らず入門後に聞いて大変驚いたその場所は2勝5敗と負け越し関取昇進一度お預けとなったが、同年11月場所1988年昭和63年1月場所連続して5勝2敗の好成績挙げ同年3月場所十両昇進果たした。この場所では力の差を見せつけられて4勝11敗と大きく負け越し一場所で幕下陥落したが、同年9月場所へ再昇進を果たすとその後順調に番付上げていき、1989年平成元年5月場所新入幕果たした小柄な身体から繰り出される速攻突き押し取り口は「F1相撲」と評され、「風のエール」という応援歌作られた。また、同時期は貴花田若花田いわゆる「若貴」ブームだったが、どちらにも強かったことから「若貴キラー」とも呼ばれていた。

※この「「二代・琴錦」襲名」の解説は、「琴錦功宗」の解説の一部です。
「「二代・琴錦」襲名」を含む「琴錦功宗」の記事については、「琴錦功宗」の概要を参照ください。

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