《親和銀行本店》
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1967年、15年住んだ《滴々居》を解体する。解体された《滴々居》の一部は美術評論家の海上雅臣の仲介により千葉県鋸山に移築、白井の計画を元に増改築が行われて翌年には《海山居》として完成する。新しい自邸《虚白庵》(現存せず)を設計し、その建築が始まる。《虚白庵》に入居するまでの間、《アトリエNo.5》に仮寓する。この年、長崎県佐世保市で白井の設計した親和銀行本店の増築部分《親和銀行本店第1期》(現存)が完成する。この設計の依頼は親和の頭取だった京都出身の北村徳太郎によるものだった[要出典]。 1969年、《親和銀行本店》の業績に対して、建築年鑑賞、日本建築学会賞、毎日新聞芸術賞を贈られる。日本建築学会賞の受賞に際して開かれた座談会において、前川國男と出会い意気投合し、同年の箱根国際会議場のコンペティションでは、前川に審査員を委嘱される。この後、前川との交友は生涯続くこととなる。 1970年、《虚白庵》に転居する。同年3月には、白井の書の展覧会が銀座壱番館画廊で開催された。また、白井の書を集めた『顧之居書帖』(鹿島出版会)が出版される。 1973年、2年後に完成することになる《懐霄館(親和銀行電算事務センター)》の外壁素材の準備及び調査のために、韓国を初めて訪れる。 1974年、自著『白井晟一の建築』(中央公論社)が出版される。この年、東京都港区に代表作のひとつ、《ノアビル》(現存)が完成する。 1975年、《ノアビル》に対して日本サインデザイン賞を贈られる。この年、《懐霄館(親和銀行電算事務センター)》(現存)が完成する。 1978年、研究誌『白井晟一研究』(全5巻、南洋堂出版)の出版が開始。また、川添による白井の作品集『白井晟一 建築とその世界』(世界文化社)が出版される。 1979年、エッセイ集『無窓』(筑摩書房)が刊行される。
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