T-35重戦車 背景

T-35重戦車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 14:35 UTC 版)

背景

1925年、イギリスヴィッカース・アームストロング社でA1E1 インディペンデント重戦車という世界で初めての多砲塔戦車が誕生した。5つの砲塔を有したこの巨大な戦車は世界中の軍関係者の注目を集めた。その後、各国も競って多砲塔戦車を開発・試作するようになった。だが、その頃起きた世界恐慌で軍事費が大幅に削減されてしまい、多砲塔戦車は単一砲塔の戦車と比べ車体も大きく構造が複雑なために生産コストが高くつき、各国はその開発・生産の全てを停止・破棄してしまったが、当時推進していた「第一次五カ年計画」によって世界恐慌とは無縁だったソ連は開発を続行する。

開発

1930年、赤軍では敵戦車の脅威を排除しつつ防御陣地を突破する重戦車が必要であるとされ、インディペンデント重戦車に興味が示された。そこでイギリスに対し同戦車の購入を打診したが許可が下りず、やむなく自主開発する運びとなった。また、同じ多砲塔戦車であるT-28中戦車も併行して開発されている。

インディペンデント重戦車を参考にしながら新型多砲塔重戦車の設計が行われ、ハリコフ蒸気機関車工場で作業が進められた。

1933年初頭には試作車が完成し、暫定的にT-32と命名され同年の5月1日メーデーの軍事パレードに参加した。その後、一部の武装の変更、T-28やBT戦車T-37水陸両用軽戦車などの部品やエンジン、砲塔の共通化を図るなどの改良がなされ、こうした変更を経て、8月11日にT-35として制式化された。

また、ソ連の多砲塔戦車開発はまだ続き、SMK重戦車、T-100重戦車にそのノウハウが活かされている。

武装は

  • 中央に16.5口径76.2 mm砲を搭載した主砲塔、
  • 前部右側と後部左側に46口径45 mm砲を搭載した副砲塔、
  • 前部左側と後部右側の副砲塔に7.62 mm機関銃を搭載した銃塔

と計5つの砲塔が配置されていた。

試作車

T-35試作1号車
T-35試作2号車

試作車には2輛作られ、これは一時的にT-32とも呼ばれたが、暫定的なものであった。それぞれ武装や外見に相違点があるので1933年型との相違点を挙げておく。

試作車第1号では

  • 主砲塔がドーム型
  • 副砲塔の武装が37 mm砲
  • 機関銃の種類が異なる
  • まだ部品、兵装の共通化がされていない
  • ハッチの形状が異なる
  • 車体の前面装甲が傾斜している

と、生産型とはさまざまな点で異なっている

試作車第2号になると、だいぶ部品が他戦車と共通化され、生産型とかなり類似しているが、傾斜している前面装甲やハッチの形状などは試作車1号のままである。

このあと細部の設計が変更され1933年型の姿に落ち着いた。


注釈

  1. ^ このスターリンの発言に関しては、発言時期などから直接的な影響に関しては意見がわかれる。

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