He 70 (航空機)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/23 08:22 UTC 版)
影響
第二次世界大戦中にHe 70はごく限定された訓練用途にのみ使用された。本機はドイツ空軍初の「高速爆撃機」であり、バトル・オブ・ブリテンと真珠湾攻撃の双方で使用された機種を含む、多くの爆撃機の先祖として就役した。
He 70は、主として特徴的な楕円翼と流麗な胴体の双発機である有名なハインケル He 111の直系の祖先であることで知られ、尾部と初期のHe 111の機首の設計に両機の密接な近似性を見ることができる。1936年にドイツ空軍に就役したHe 111は、第二次世界大戦の初期には主要な爆撃機となっていた。
ハインケル社の先進的な設計は、ドイツ空軍初の単葉戦闘機の座をメッサーシュミットBf109と争い敗北したHe 112戦闘機にも用いられた[要出典]。敗れはしたもののHe 112は少数が生産され、その性能はHe 70の元々持つ設計の強みを再び証明して見せた。この戦闘機は基本的にHe 70の縮小版であり、全金属製の構造と逆ガルウィングは両機に共通であった。
He 70は研究用に日本に輸出され、九九式艦上爆撃機に影響を与えた[4]。この機種は低翼に配した楕円翼というHe 70の特徴を共有しており、幾種類かあるハインケル社と日本の航空機産業の協力作品の1機種であった。
He 70がスーパーマリン スピットファイアの楕円翼プラットフォームの発想の元になったとか、影響を与えたと云われる[要出典]が、スピットファイアが開発されていた時期にロールス・ロイス ケストレル エンジンを装着したHe 70Gが英国の空を飛んでいたことから、そう云われる理由が無いわけではない。
ロールス・ロイス ケストレル エンジンを装着した機体の性能を見た後でR.J.ミッチェルがハインケルに送った手紙の一部でこう書いている:
「我々スーパーマリン社の社員には、我々がシュナイダー・トロフィー・レースに出場させた機体でさえこの様な流麗な形状にすることができなかったことが非常に印象深かった・・・ これに加えて、我々は最近ある新型の英国製の戦闘機用エンジンをHe 70に搭載して、その効果を調査しました。我々は、あなたの会社の新型機がその大きさにもかかわらず我々の戦闘機よりもかなり高速であることを発見して驚きました。これは本当に快挙です。」
しかしながら、R.J.ミッチェルの空力担当アドバイザーのビバリー・シェンストーン(Beverly Shenstone)はスピットファイアの主翼がHe 70の模倣であるということについて反駁している。アルフレッド・プライス(Alfred Price)著の『'Spitfire - A Documentary History'』内でシェンストーンの言葉がこう引用されている:
「我々スーパーマリン社がHe 70輸送機の主翼の形状を盗用したということが言われているが、そうではない。楕円翼は他の航空機にも使用されていたし、その優位性も良く知られていた。我々の主翼はハインケルの物よりもかなり薄く、全く異なる翼断面をしていた。いずれにせよ、目的の全く異なる航空機用に設計された主翼の形状を模倣したら単にトラブルの種を蒔いたことになっただろう。」
シェンストーンは、上で引用したミッチェルからハインケルに宛てた手紙から抜粋した中である程度確認できるようにHe 70がスピットファイアの設計に与えた影響は空力的な平滑さの基準として参考にした限定的なものであったと言った。
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