1993年のル・マン24時間レース
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1993年のル・マン24時間レース | |||
前年: | 1992 | 翌年: | 1994 |
概要
3,500ccNAマシンによるスポーツカーレース(スポーツカー世界選手権、SWC)は1991年シーズン終了後にも中止される可能性があってプジョーやトヨタ自動車の協力でようやく成立したもののその後さらに参加台数が減って1992年で中止となっており、この影響をまともに受けてル・マンの観客動員数も大幅に減った[2]。
これまでの燃料使用量による性能抑制を止め、吸気リストリクターによる性能抑止を採用することになった[2]。
C1
1991-92年のSWC、3,500ccNAマシンによる、主役となるカテゴリーで、プジョーとトヨタの一騎討ちとなった[2]。
プジョーのワークスチームプジョー・タルボ・スポーツはこのレース終了で監督のジャン・トッドがフェラーリのフォーミュラ1チームへ移籍して、チーム解散することが決定していた。前年のプジョー・905を改良して3台持ち込んだ[2]。
トヨタはトヨタ・TS010のタイヤをグッドイヤーからミシュランに変更して3台持ち込み、戦闘力はプジョーを上回ると言われた[2]。
C2
トヨタ勢はサードとトラストからトヨタ・93C-Vが出場した[2]。
ポルシェはプライベートチームからポルシェ・962Cが出場した[2]。
LMP
新しい「ル・マン・プロトタイプ」カテゴリー。IMSAのWSC(ワールドスポーツカー)のマシンで、3リッター以下の生産車またはF3000エンジンを使用し、リストリクターによってバランスがとられている、コンストラクター製1席のレース専用車である[2]。軽量で比較的安価に参戦できたが、カテゴリー自体が先行き不透明で参加台数は多くなかった[2]。
GT
GTカーのクラスで、合計30台が参戦した[2]。安定した参戦台数を得るために認められたカテゴリーではあるが、市販車が再びル・マンに帰って来たことで将来に期待を繋ぐカテゴリーでもあった[2]。
ジャガーはル・マンの経験も豊富なトム・ウォーキンショー・レーシングが有力ドライバーを揃えXJ220Cで参戦した[2]。
目立たないながらもポルシェは将来を見据えて車両重量1,000kg、3.2リットルのポルシェ・911ターボS LM-GTを持ち込み、ハンス=ヨアヒム・スタック/ヴァルター・ロール/ハーレイ・ヘイウッド組と優秀なドライバーで参戦した[2]。
他に参戦した車両はヴェンチュリ・500LM、ロータス・エスプリ300、フェラーリ・348LMなどであった[2]。中にはアマチュアが持ち込んだ、ほとんどノーマルに近い車両もあった[2]。
予選
プジョーは前年より3秒以上遅い[2]3分24秒94[2][1]を出したプジョー・905の2号車[1]が1位[1]となった[2]。
トヨタもタイム短縮には消極的であった[2]。トヨタ・TS010の36号車[1]が3分26秒14[1]で2位[1]。
- 1 1993年のル・マン24時間レースとは
- 2 1993年のル・マン24時間レースの概要
- 3 決勝
- 4 出典
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