1988年カルガリーオリンピックにおける懸念と論争 1988年カルガリーオリンピックにおける懸念と論争の概要

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1988年カルガリーオリンピックにおける懸念と論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/06 01:03 UTC 版)

1988年カルガリーオリンピック > 1988年カルガリーオリンピックにおける懸念と論争

1988年にカナダのアルバータ州、カルガリーで開催された冬季オリンピックをめぐり巻き起こった数多くの懸念や論争は、メディアにおける解説や公開討論英語版の対象となった。

安全性

イェルク・オーバーハンマーの事故死

1988年2月25日、当時47歳でオーストリア選手団のチームドクターを務めていたイェルク・オーバーハンマーが、男子アルペンスキー競技の競技中にスキー選手と衝突し、除雪機英語版の進路に転落して死亡した[1]。スイスのスキープレイヤー、ピルミン・ツルブリッゲンマーティン・ハングル英語版の2人は、チェアリフトの上からオーバーハンマーの事故現場を目撃したが、彼らのうちツルブリッゲンは競技に出場し金メダルを勝ち取った一方、ハングルはこの事故を理由にアルペンスキー競技の出場を辞退した[2]

天候

1988年冬季オリンピック会期中の
カルガリー国際空港の気象データ[3]
日付 最高気温

°C (°F)

最低気温

°C (°F)

風速冷却英語版°C

(°F)

1988年2月13日 4.7

(40.5)

−8.9

(16.0)

−16.0

(3.2)

1988年2月14日 4.6

(40.3)

−11.6

(11.1)

−17.0

(1.4)

1988年2月15日 5.1

(41.2)

−4.3

(24.3)

−10.0

(14.0)

1988年2月16日 4.9

(40.8)

−5.8

(21.6)

−10.0

(14.0)

1988年2月17日 6.0

(42.8)

0.6

(33.1)

1988年2月18日 7.5

(45.5)

−7.1

(19.2)

−9.0

(15.8)

1988年2月19日 11.2

(52.2)

3.8

(38.8)

1988年2月20日 15.9

(60.6)

6.8

(44.2)

1988年2月21日 11.8

(53.2)

−1.8

(28.8)

−9.0

(15.8)

1988年2月22日 −0.8

(30.6)

−10.5

(13.1)

−16.0

(3.2)

1988年2月23日 −0.4

(31.3)

−14.7

(5.5)

−21.0

(−5.8)

1988年2月24日 14.9

(58.8)

−7.2

(19.0)

−12.0

(10.4)

1988年2月25日 17.5

(63.5)

2.7

(36.9)

1988年2月26日 18.1

(64.6)

1.4

(34.5)

1988年2月27日 12.9

(55.2)

0.2

(32.4)

1988年2月28日 10.8

(51.4)

−7.7

(18.1)

−12.0

(10.4)

マイナス30℃からプラス22℃という温度差により[4]、1988年冬季オリンピックは天候状況について重大な問題を抱えることとなった。この大会では176件のイベントの開催を予定されていたが、うち30件が天候状況を理由として日程・時間が変更された[5]ナキスカ英語版で開催予定であった男子滑降は、160 km/hものチヌークフェーン風)によって一日延期された[6][7]。女子滑降も同様の措置がとられた。カナダ・オリンピック・パーク英語版(COP)の北面に設営されたスキージャンプ会場もまた上述のチヌークに見舞われ[8]、ラージヒル競技は四度にわたって延期された[9]。影響はノルディック複合競技にも及び、同競技のスキージャンプは延期を余儀なくされた。本大会では、オリンピック史上初めてスキージャンプとノルディック複合が同日に開催された[10]

人工冷却の活用にもかかわらず[8]、この高温によりボブスレー競技リュージュ競技のうちいくつかの競技が延期となった[11]ボブスレー競技男子2人乗り英語版では、チヌークによって砂埃がレースコース上に堆積してしまい[12]、後半に出場した選手らの速度は明らかに速かった。ソ連のチームは、優勝候補の東ドイツチームを相手に予想外の逆転勝利を収め、金メダルを獲得した[11]

1988年2月26日、カルガリーの最高気温は18.1℃に達し、同日の記録としては調査開始以来最高の気温を記録した[13]

ドーピング

同大会の薬物検査研究所は、フットヒルズ病院英語版に設置され、1987年12月にIOC医学委員会から認定を受けた。大会期間中、合計428の尿サンプルに対して禁止薬物の検査が行われ、1名の選手がテストステロンに陽性反応を示し、5つのサンプルから検出から逃れることを意図した対照試料が検出された。薬物検査研究所は、精神刺激薬オピオイドアナボリックステロイド交感神経β受容体遮断薬利尿薬の5種類と、マスキング剤であるプロベネシドについての検査をおこなった[14]

アイスホッケー

ポーランドのアイスホッケー選手、ヤロスワフ・モラヴィエツキ英語版は大会中、禁止薬物であるテストステロンの検査で陽性となった[15]。24歳でセンターを務めるモラヴィエツキは、当時のポーランド英語版最高の選手と考えられていたが[15]、フランス相手に6-2で勝利したあとに行われた無作為の検査において、許容範囲を超えるテストステロンが検出された[15]。ポーランドチームのコーチ、レシェク・レイチクポーランド語版は、モラヴィエツキは政治的な理由で意図的に薬物を投与されたのだと主張した[16]

国際アイスホッケー連盟(IIHF)はモラヴィエツキに対し18ヵ月の出場資格停止処分を下し、ポーランドの対フランス戦勝利を取り消した[15][17]。ポーランドは最終的にグループAの順位を6チーム中5位で終えた[17]

ノルディック・スキー

カルガリーオリンピック開催前、アメリカ合衆国のノルディック複合選手、ケリー・リンチ英語版が、1987年FISノルディックスキー世界選手権大会の15km個人戦で2位を獲得する以前に、コーチであるジム・ペイジ英語版の指導の下で違法な輸血を受けたことを認めた。国際スキー連盟はその後、リンチに対し、1988年の本大会を含め2年間の出場資格停止処分を下した[18]。同大会中、カナダのノルディック・スキーのコーチ、マーティン・ホールが、ソビエト連邦チームの快挙は血液ドーピングを行ったからであると主張した[19][20]。その後、フィンランド・ノルウェー・スウェーデンの3カ国のスキー連盟は、今後のノルディックスキー競技において血液ドーピング検査を実施するよう要求した[20]


  1. ^ OCO'88 1988, p. 41
  2. ^ “'88 WINTER OLYMPICS: NOTEBOOK; Death on Slopes Is Ruled Accident”. The New York Times: p. 52. (1988年2月27日). https://www.nytimes.com/1988/02/27/sports/88-winter-olympics-notebook-death-on-slopes-is-ruled-accident.html 2022年1月24日閲覧。 
  3. ^ Hourly Data Report for February 1988 - CALGARY INT'L A ALBERTA”. Environment and Climate Change Canada. 2022年1月25日閲覧。
  4. ^ OCO'88 1988, p. 193
  5. ^ OCO'88 1988, p. 13
  6. ^ OCO'88 1988, p. 50
  7. ^ OCO'88 1988, p. 19
  8. ^ a b Findling & Pelle 1996, p. 313
  9. ^ Wallechinsky & Loucky 2009, p. 295
  10. ^ OCO'88 1988, p. 94
  11. ^ a b OCO'88 1988, p. 35
  12. ^ Wallechinsky & Loucky 2009, p. 161
  13. ^ “Continuing heat wave fails to melt enthusiasm”. Calgary Herald: p. C1. (1988年2月27日). ProQuest 2266354488 
  14. ^ Chan et al. 1991, p. 1289.
  15. ^ a b c d “Player banned, Poland stripped of win in drug scandal”. Toronto Star. The Canadian Press: p. B3. (1988年2月22日). ProQuest 435721155 
  16. ^ “Player drugged, Polish coach says”. Vancouver Sun: p. C1. (1988年2月22日). ProQuest 243683610 
  17. ^ a b OCO'88 1988, p. 587
  18. ^ “Blood doping skier barred”. Vancouver Sun: p. E2. (1988年1月20日). ProQuest 243689013 
  19. ^ “Scandinavians seek crackdown on blood-doping; XV Olympic Winter Games”. Montreal Gazette. The Canadian Press: p. H3. (1988年2月20日). ProQuest 431590735 
  20. ^ a b “Scandinavians seek crackdown on blood-doping; XV Olympic Winter Games”. Montreal Gazette. The Canadian Press: p. H3. (1988年2月20日). ProQuest 431590735 
  21. ^ “Scandals plague Calgary Games”, Spokane Spokesman-Review: p. 29, (February 13, 1987), https://news.google.com/newspapers?id=mkQjAAAAIBAJ&pg=6474,7315868 2013年2月18日閲覧。 
  22. ^ a b c d e f OCO'88 1988, p. 335
  23. ^ Findling & Pelle 1996, p. 314
  24. ^ Swift, E. M. (March 9, 1987). “Countdown to the Cowtown hoedown”. Sports Illustrated 66 (10): 72–84. https://vault.si.com/vault/1987/03/09/countdown-to-the-cowtown-hoedown-undeterred-by-a-mostly-snowless-winter-calgary-is-busily-shining-its-boots-for-a-western-style-1988-winter-olympics-less-than-a-year-away 2022年1月24日閲覧。. 
  25. ^ a b Powers, John (March 18, 1987), “Olympic tickets, not weather, an issue in Calgary”, Beaver County Times: p. 2, https://news.google.com/newspapers?id=CIYkAAAAIBAJ&pg=3297,3817808 2013年2月18日閲覧。 
  26. ^ a b c d e OCO'88 1988, p. 67
  27. ^ Powers, John (February 12, 1988), “Calgary has a warm reception for Games”, Boston Globe 
  28. ^ Janofsky, Michael (February 4, 1988), “Winter Olympics: boom or bust”, The Age (Melbourne), Green Guide: p. 8, https://news.google.com/newspapers?id=571YAAAAIBAJ&pg=4944,1987693 2013年2月23日閲覧。 
  29. ^ “Olympics' ticket boss faces fraud, theft charges”, Edmonton Journal: p. A1, (October 31, 1986), https://news.google.com/newspapers?id=pSNlAAAAIBAJ&pg=4681,3852117 2013年2月18日閲覧。 
  30. ^ Walmsley, Ann (1988年2月2日). “The Men Who Made it Work”. Maclean's 101 (4): pp. 20–22. https://archive.macleans.ca/article/1988/2/2/the-men-who-made-it-work 2021年6月10日閲覧。 
  31. ^ Board, Mike (1989年4月22日). “McGregor looking at day parol release”. Calgary Herald: p. B3 
  32. ^ a b c OCO'88 1988, p. 337
  33. ^ a b OCO'88 1988, p. 339
  34. ^ OCO'88 1988, p. 239
  35. ^ a b c d e f Findling & Pelle 1996, p. 315
  36. ^ a b c OCO'88 1988, p. 277
  37. ^ a b c Archibald 1995, p. 107
  38. ^ Archibald 1995, p. 119
  39. ^ Archibald 1995, p. 120
  40. ^ Archibald 1995, p. 122
  41. ^ Archibald 1995, p. 126


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