1988年カルガリーオリンピックにおける懸念と論争
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組織
チケット販売
大会開催に近づくにつれ、組織委員会のチケット販売に関するスキャンダルや騒動があいつぎ、世論の怒りを買う結果となった[21]。チケットの需要は高く、初日のイベントのチケットは1年前に完売するありさまであった。当初、組織委員会は、カルガリーの近隣住民に対して、全チケットのうち「オリンピック関係者」枠、すなわちIOC関係者やスポンサー向けのチケットは全体の10%以内に留めると約束したが[22]、委員会は後に、目玉競技のチケットのうち50%が「オリンピック関係者」枠であったことを認めるに至った[22][23][24]。当時のカルガリー市長ラルフ・クラインから後日「クローズド・ショップ」を経営していると言われるほど強い批判をうけた組織委員会であったが、同委員会は、IOC関係者やスポンサーに優先的にチケットを供給する義務についての適切な説明・公報を怠ったことを認めている[25]。
組織側は、スポンサー枠の削減を検討するよう彼らに求めたうえで、150万ドルを投じてスコシアバンク・サドルドームの観客席を2,600人分増設するほか、スキージャンプ、アルペンスキー、開閉会式の収容人数を増やすことで、世間の懸念に対応しようとした[26][22]。組織側はまた、カルガリー大会のチケットを、当時最多の190万枚販売するという声明を出した[26]。これは、サラエヴォ大会やレークプラシッド大会の約3倍であった。全体のチケットのうち、79%がカルガリー市民に、21%がスポンサーならびにVIP向けに割り当てられた[26][22][25]。カルガリー大会開会時点での売上は140万枚におよび[27]、直前の冬季オリンピック3大会を合わせた販売数を上回った[28]。カルガリーオリンピック組織委員会は、同大会の最終報告において、詐欺疑惑・オリンピック関係者によるプレミアチケットの大量要求・意思疎通の不足などが重なったことにより、チケット販売プロセスに対する世間の反応が悪化したことを認めた[26]。
これら一連のできごとに先行して、同大会のチケットマネージャーはアメリカ人に対しカナダドルではなくアメリカドルで支払うよう求める内容に書き換えたチケット請求書を送り、返送先を組織委員会の事務所宛てではなく自身の会社宛てとしたため、窃盗と詐欺で告発されている。アメリカドルはカナダドルより40セント高く取引されていたため、為替換算により予想される金額を大幅に上回る収益となっていた[29][30][26]。チケットマネージャーは、クレジットカード会社のVisaに責任があるとした上で自身がスケープゴートにされたとする主張によって無実を訴えたが、詐欺・窃盗・偽造の罪で有罪判決を受け、5年の禁固刑を言い渡された[31][22]。
その他の計画や流通に関する問題も、カルガリーオリンピック会期中のチケット販売を悩ますこととなった。同大会では、個人が証明付き小切手を郵送してチケットを購入できるようにする切り取り広告を、カナダの主要新聞27紙(370万枚)および他の国際紙(80万枚)に掲載するという、積極的な販売戦略がおこなわれた。結果として、チケットに対する需要は大きく高まったが、同大会のチケット部門側はこれに対応する準備を整えていなかった[22]。一般の認識では、「先着順」のチケット購入方法であれば、用紙が発売された当日に小切手を郵送した人が最初にチケットを購入できる、いわゆる先着順であった[32]。しかしながら、カナダ郵便公社はそれぞれの手紙に投函日を記載しておらず、チケット部門も郵便物を800通ごとに大きな箱に入れ、コンピューターによる抽選で無作為に開封するという方法をとっていた[32]。この未処理により、購入者注文の通知は1986年11月30日から1986年12月31日まで1ヶ月遅れることとなった[32]。1987年2月、チケット販売情報について2度目の告知が発表され、チケットの在庫がまだあることについてと、それまでの販売分に50パーセントが割り当てられたことについての告知が行われた[33]。また、1987年5月には3度目のチケット販売情報の告知が行われた[33]。
いくつかの団体には、事前に割り当てられたチケットが配布された。チルドレンズ・チケット・ファンドは、合計1万2088枚のチケットを、アルバータ州とブリティッシュ・コロンビア州東部にある子どもたちを対象とした機関やコミュニティーに配布した[34]。
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