1715年ジャコバイト蜂起 イングランドの戦闘

1715年ジャコバイト蜂起

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/22 21:40 UTC 版)

イングランドの戦闘

イングランド西部におけるジャコバイト蜂起の首謀者には貴族3人と庶民院議員6人が含まれていた。政府は10月2日の夜に9人を逮捕、翌日には議会からの逮捕許可を易々と取得した[8]。逮捕者にはイングランドのジャコバイトの長である准男爵ウィリアム・ウィンダムも含まれていた。政府はジャコバイトの手に落ちないようブリストルサウサンプトンプリマスに増援を派遣した[9]オックスフォードは王党派で知られ、政府からは老僭王に有利であると思われたため、10月17日にペッパー将軍(Pepper)が竜騎兵を率いて入城、主要なジャコバイトを抵抗なしで逮捕した[10]

ノーサンバーランドではイングランド西部の蜂起への援護として、陽動の蜂起が計画された。イングランド西部の蜂起は政府の素早い対応で未然に防がれたが、ノーサンバーランドの蜂起は1715年10月6日に決行した。この蜂起には第4代ウィドリングトン男爵ウィリアム・ウィドリングトン第3代ダーウェントウォーター伯爵ジェームズ・ラドクリフとその息子チャールズ・ラドクリフ英語版が関与しており、エドワード・ハワード(後の第9代ノーフォーク公爵)とハンティングドンシャー英語版のジェントリの1人ロバート・コットン(Robert Cotton)もランカシャーで蜂起に加入した[11]

イングランドのジャコバイトは第6代ケンミュア子爵率いるスコットランド辺境のジャコバイトと合流、さらにマッキントッシュの派遣隊とも合流した。続いてイングランドに進軍、プレストンまで進んだが、政府軍に追いつかれ、11月12日から14日までプレストンの戦い英語版を戦った。ジャコバイト軍は1日目の戦闘に勝利、多くの政府軍兵士を殺傷したが、翌日に政府軍の援軍が到着、やがてジャコバイトは降伏した[12]


  1. ^ 友清理士. “スペイン継承戦争の戦後20年――ユトレヒト条約後の国際関係とハノーヴァー朝下のイギリス――” (日本語). 2018年7月15日閲覧。
  2. ^ Michael, p. 134.
  3. ^ Michael, p. 152.
  4. ^ a b c d Christoph v. Ehrenstein, 'Erskine, John, styled twenty-second or sixth earl of Mar and Jacobite duke of Mar (bap. 1675, d. 1732)', Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 2004; online edn, Jan 2008, accessed 20 January 2011.
  5. ^ Michael, p. 156.
  6. ^ Michael, p. 158.
  7. ^ Reid, pp. 19-20.
  8. ^ Michael, pp. 163–164.
  9. ^ Michael, p. 164.
  10. ^ Michael, p. 165.
  11. ^ Baynes, pp. 83-104.
  12. ^ Baynes, pp. 105-128.
  13. ^ James Panton, Historical Dictionary of the British Monarchy (2011), p. xxxiv.
  14. ^ Peter Hume Brown英語版, A History of Scotland to the Present Time, p. 154.


「1715年ジャコバイト蜂起」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1715年ジャコバイト蜂起」の関連用語

1715年ジャコバイト蜂起のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1715年ジャコバイト蜂起のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの1715年ジャコバイト蜂起 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS