須見千次郎 須見千次郎の概要

須見千次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/20 01:04 UTC 版)

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須見千次郎

経歴

住友恵市の次男として美馬郡穴吹町舞中島(現在の美馬市穴吹町三島)で生まれる。後に麻植郡鴨島町敷地(現在の吉野川市鴨島町敷地)の素封家・須見徳平の養子となった[1]

その後、徳島県会議員を経て1902年明治35年)に第7回衆議院議員総選挙に当選、1917年大正6年)まで4回の当選を果たす。1926年(大正15年)、憲政会徳島県支部長に就任[1]。他にも阿波紡績、徳島毎日新聞社監査役、第八十九銀行取締役会長を歴任。

1927年昭和2年)4月12日、82歳で没する[1]

参考文献

  • 『阿波人物志』原田印刷出版、1973年。
  • 『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。

  1. ^ a b c 『阿波人物志』p121


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