韓非
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著作
- ※以下は現行での主な訳注。韓非子も参照
- 金谷治訳注『韓非子』 岩波文庫(全4巻)、1994年
- 町田三郎訳注『韓非子』 中公文庫(上下)、1992年、原文はなし
- 竹内照夫訳注『韓非子』 明治書院〈新釈漢文大系11・12〉、1960-64年
- 『韓非子』 明治書院「新書漢文大系13」、2002年。抜粋編訳
- 本田済訳注『韓非子 全現代語訳』 講談社学術文庫、2022年、改訂新版
参考文献
- 太田方注、服部宇之吉校訂『韓非子翼毳』冨山房〈漢文大系 第8巻〉、1911年 。
- 服部宇之吉 校訂 編『韓非子翼毳』(普及版)冨山房〈漢文大系 第8巻〉、1973年。ISBN 9784572000705 。
- 東京大学中国哲学研究室編『中国思想史』 東京大学出版会、1952年、新版1983年
- 金谷治『中国思想を考える』 中公新書、1993年
- 貝塚茂樹『韓非』 講談社学術文庫、2003年
- 冨谷至『韓非子』 中公新書、2003年
- 西野広祥ほか訳『中国の思想 1 韓非子』 徳間書店のち徳間文庫
- 長尾龍一『古代中国思想ノート』 信山社、1999年
- 狩野直禎『「韓非子」の知恵』 講談社現代新書、1987年
荀子に関して
外部リンク
- ^ 「子」は「先生」を意味する男性に対する尊称。
- ^ 『韓非子』「存韓」編。韓王を弁護するために秦に赴いた韓非が上表したとされる文章と李斯の反駁文、さらにそれに対する韓非の反駁文で成り立つ。ただしこの編はおそらく韓非自身の著作ではないと考えられている。太田方は「初見秦」編とともにこれを『韓非子』の本編から外す。金谷治もおそらく韓非その人の著作ではないとしている。
- ^ 貝塚 2003, p. 127.
- ^ 「古者丈夫不耕、草木之實足食也。婦人不織、禽獸之皮足衣也。不事力而養足、人民少而財有餘、故民不爭。」"昔は男でも耕作せず、草木の実で十分食が足りた。女は機織りせず、禽獣の毛皮で衣服が足りた。労力を使わずとも十分生きていけたので、人々は少ないため財は余りがあって、そのため民衆は争うことがなかった。"
- ^ a b 「五蠹」編
- ^ 「顕学」編
- ^ 「且世之所謂賢者、貞信之行、所謂智者、微妙之言也。微妙之言、上智之所難知也。今為衆人法、而以上智之難知、則民無従識之矣」"また世にいう「賢」というのは誠実な行いのことで、「知」というのは繊細な機微に基づく言葉である。このような微妙な言葉は優れた知者にさえ難解である。一般の人々のための法にこのような難解な言葉を使えば、一般の人々がその内容を理解できるはずもない。"(「五蠹」編)
- ^ 「夫明王治國之政、使其商工游食之民少而名卑、以寡舎本務而趨末作。」"名君の治政においては、商工業者や放浪者を少なくして身分を卑しくし、農民が本業を捨てて商工業にはしるのを少なくするのである。"(「五蠹」編)
- ^ 「勢必於自然、則無為言於勢矣。吾所為言勢者、言人之所設也。」"勢が自然についてに限られるのであれば、勢について語ることは何もない。私が勢と呼ぶのは、人の設ける勢のことである。"(「難勢」編)
- ^ 韓非は実定法的正当性である「勢」と超実定法的正当性である「義」を対置して捉え(「且民者固服於勢、寡能懐於義。」"また民は「勢」には自然と服するが、「義」に従うことができる者は少ない。"、「五蠹」編)、さらに「義」より「勢」を重く見ている。このことは現代社会のような、外面的な法秩序と内面的な道徳秩序の共存を認める立場ではなく、むしろ法によって内面的な道徳秩序さえも排除しようという主張につながる。「故有道之主、遠仁義、去智能、服之以法。」"道をわきまえた君主は、仁義を遠ざけ、知能に頼らず、法にしたがうのである。"(「説疑」編)
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