静野与右衛門 静野与右衛門の概要

静野与右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 18:51 UTC 版)

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経歴・人物

佐渡国雑太郡相川の人物[2]箱根用水を開いた友野与右衛門と同一人物視する考察もある[3]

上田勘兵衛に和算・測量術を学ぶ[1][2]佐渡金山の振矩師を務める[1][2]佐渡奉行荻原重秀の下、元禄4年(1691年)から足掛け5年を掛け、相川の割間歩の地下水を海にながす総延長約1.1kmの南沢疏水坑道(南沢水貫間切)を完成させた[1][2]。この工事の完成により金山は「元禄の大盛り」といわれる最盛期を迎えた[2]。この排水坑道は平成元年(1989年)に閉山するまで排水路としての機能を果たした[2]

他に水力利用の鉱石粉砕法を考案した実績もある[2]

脚注

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