長谷寺 (倉吉市) 長谷寺 (倉吉市)の概要

長谷寺 (倉吉市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 08:54 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
長谷寺
本堂の舞台
所在地 〒682-0824 鳥取県倉吉市仲ノ町2960
位置 北緯35度25分36.2秒
東経133度49分6.2秒
座標: 北緯35度25分36.2秒 東経133度49分6.2秒
山号 打吹山
宗派 天台宗
本尊 十一面観音
創建年 伝・721年
開基 伝・法道
札所等 中国三十三観音霊場第30番
文化財 厨子(国の重要文化財)ほか
法人番号 3270005004165
テンプレートを表示
仁王門
参道に連なる石仏

概要

『伯耆民談記』等に伝える寺伝によれば、奈良時代の養老5年(721年)、法道を開山として創建されたという。当初は長谷(ながたに)村(現・倉吉市長谷、長谷寺の西方)にあり、後に現在地に移されたという。草創の詳しい事情や中世までの沿革は判然としないが、中世には禅宗寺院であった。鳥取市河原町片山の国英神社(くにふさじんじゃ)蔵の正安3年(1301年)銘の梵鐘には「伯州久米郷長谷寺鐘」とあり、この時点での寺の存在が確認できる。

豊臣秀吉の時代に寺領を失い衰退するが、米子城中村一忠によって再興。この頃天台宗に転じた。

境内は打吹山山中、打吹城越中丸跡近くの斜面地にあり、室町時代再築の本堂は急斜面に対応した懸造の建築である。

本堂には重要文化財に指定の厨子内に秘仏の本尊木造十一面観音菩薩坐像を安置する。 また本堂内壁面に室町時代から江戸時代に奉納された秀逸な絵馬が多数掛けられていたことから(現在は庫裏に展示)、「絵馬の寺」として広く知られる。

伽藍

  • 本堂
  • 仁王門
  • 鐘楼
  • 庫裏

文化財

重要文化財(国指定)

  • 本堂内厨子 - 本堂内に安置する禅宗様の厨子。室町時代後期、桁行一間、梁間一間、一重、入母屋造、こけら葺き。国の重要文化財1988年12月19日指定)[1]

鳥取県指定保護文化財

  • 本堂 - 桃山時代(16世紀末頃)の建立、五間堂、数度の改変を経て江戸時代後期に現在の形に定まる。寄棟造、懸造。
  • 仁王門 - 江戸時代は延宝8年(1680年)建立、間口三間、奥行二間、八脚門、入母屋造(屋根材に変更が加えられている)、仁王像安置。
  • 梵鐘 - 1393年の銘、(1956年5月30日指定)。
  • 絵馬 - 室町時代~江戸時代、(1957年2月6日指定、1970年9月11日追加指定)。

倉吉市指定文化財

  • 木造十一面観音菩薩坐像 - 秘仏、室町時代初期(14世紀)作、檜寄木造り、像高101cm。

その他の文化財

  • 仁王像 - 阿吽2体、延宝4年(1676年)の作

年中行事・祭事

  • 2月下旬 - 長谷の牛玉授け[2]
  • 2月下旬 - 長谷の観音市



「長谷寺 (倉吉市)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「長谷寺 (倉吉市)」の関連用語

長谷寺 (倉吉市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



長谷寺 (倉吉市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの長谷寺 (倉吉市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS