長崎市総合運動公園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 02:02 UTC 版)
柿泊遺跡
運動公園のある場所は、旧石器時代から縄文時代にかけて人々の生活していた痕跡が確認されている。運動公園は沿岸からやや離れた山間部にあり、長崎市内で内陸かつ高地にて遺跡が発掘された事例は柿泊遺跡が初となる[6]。
交通アクセス
公共交通機関でアクセスする場合、長崎バスの長崎駅前から(の場合)3番系統「長崎市運動公園前」・「相川」行き、または番号なしの春木町経由「長崎市運動公園前」・「相川」行きの路線バスに乗車して[7]、長崎市運動公園前バス停にて下車する。定期便の数は1時間1〜3本と少なく、大きな大会が行われる際には長崎バスが臨時バスの運行などの対応を行う。
また、市道小江原春木町線から分岐し、城山台 - 小江町間の運動公園トンネルを経由し、運動公園に直結する道路(市道柿泊町城山台1号線)が整備されている。小江原春木町線は小江原地区から市内中心部までの所要時間を短縮する道路であり、柿泊町城山台1号線と小江原春木町線を経由するルートが市内への最短ルートとなる。
脚注
外部リンク
- ^ “令和6年4月1日から長崎市の施設に愛称が付きます!!”. 長崎市. 2024年4月15日閲覧。
- ^ 2006年(平成18年)4月から2010年(平成22年)3月までの指定管理者は「かきどまりグループ」(長崎緑地公園管理事業協同組合、奥アンツーカ西九州営業所、島崎電業による共同事業体)であった
- ^ 施設案内 - 長崎県まなびネット(長崎県教育庁 生涯学習課)ウェブサイト
- ^ “かきどまりに照明を 競技場改修求め署名活動”. 長崎新聞 (2009年10月12日). 2013年12月31日閲覧。
- ^ a b “V長崎スタジアム問題/長崎市がJ基準断念 13年参戦、暗雲”. 長崎新聞. (2011年9月7日). オリジナルの2012年9月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ 長崎県 | 遺跡大辞典
- ^ 6番系統の「柿泊」・「相川」・「式見 桜の里ターミナル」行きの路線バスは長崎市運動公園前バス停を通らないため、行き先表示に「運動公園 通りません」と記載されている。
固有名詞の分類
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