野口種晴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/27 14:44 UTC 版)
現役時代
東京・小伝馬町にあった野村モータース(義兄の野村順亮が創業、経営)に勤務していた16歳の時にレース出場を始める。野村は、ホンダの本田宗一郎やヤマハの川上源一とも深い付き合いがあった。野村はヤマハワークスの発足にも深く関わっている。
1961年にはヤマハ・ワークスがロードレース世界選手権に参加し、ヤマハ・ロードレーサーに乗る形で5つのGPレースに出場した。
国内出場歴
- 第3回多摩川レース - 初の公式戦出場。
- 九州水害慈善レース(川口オートレース場) - 125ccクラス優勝。
- 第1回全日本オートバイ耐久ロードレース(11月5日 - 11月6日) - 250ccクラス。トップを取るも3周目でリタイア。
※下記の2レースは併催。
- 第3回全日本オートバイ耐久ロードレース(8月22日 - 8月24日) - 350ccクラス優勝。
- 第2回全日本モーターサイクルクラブマンレース(8月22日 - 8月24日) - 350ccクラス優勝、250ccクラス3位入賞。
ロードレース世界選手権(1961年)
- フランスGP
- 250cc - RD48に乗車。10位(2周遅れ)。完走したがポイント圏外。
- 125cc - RA41に乗車。8位(周回遅れ)完走。
- 250cc
- 125cc - RA41に乗車。17位(完走)。
- オランダGP
- 250cc - RD48に乗車。8位(2周遅れ)完走。
- 125cc
- ベルギーGP
- 250cc
- 125cc
- アルゼンチンGP
- 250cc
- 125cc
野口 種晴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/07/05 17:11 UTC 版)
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