赤井照景 赤井照景の概要

赤井照景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/01 09:57 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
赤井照景
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文17年(1548年
死没 天正元年(1573年
別名 煕景[1]
主君 宇都宮広綱
氏族 上野赤井氏
父母 赤井照康
兄弟 長尾当長正室、照景
勝連
テンプレートを表示

略歴

弘治2年(1556年)、父の赤井照康が館林城を築城する。程なくして死去したために、姉婿である長尾当長の後見を受けて館林城主となる。しかし、我儘な性格で家臣の人望が薄く、上杉謙信の関東出兵にも北条氏古河公方足利義氏の威を借りて出陣を拒んだ。そこで、永禄2年(1562年)に上杉軍が長尾顕長の案内を受けて館林城を攻略する。照景は幼少である事を考慮されて助命されて宇都宮広綱の許に出奔した。

宇都宮家中では武勇に優れた武将として活躍して、後に下野国徳次郎[2]に所領を与えられたが、宇都宮家中の内紛に巻き込まれて殺害されたという。

これらは『館林記』など館林市周辺に伝わる経歴である。しかし、これらは同時代史料と比較して差異が多く、史料価値は低いとされる。また、研究による館林城築城年代は不明で、永禄2年(1562年)の館林城落城時の城主は「赤井文六」とありは伝わらない。文六の事跡も落城後にへ逃亡したとしか分からない。このため、照景は父・照康と共に、館林城に代々あった上野赤井氏との関連は不明となっている[3]


  1. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『赤井照景』 - コトバンク
  2. ^ 現在の宇都宮市
  3. ^ 『館林市史 資料編 2 中世-佐貫荘と戦国の館林』。


「赤井照景」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「赤井照景」の関連用語

赤井照景のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



赤井照景のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの赤井照景 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS