第20回スーパーボウル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/27 00:31 UTC 版)
テレビ放送とエンターテイメント
テレビ中継はNBCが1700万ドルで放映権を獲得し[21]、ディック・エンバーグが実況を、マーリン・オルセンとボブ・グリーシーが解説を担当した。ニールセン[要曖昧さ回避]による調査で視聴率は48.3%に達した。
試合開始前のセレモニーには過去のMVP受賞者が登場した。アメリカ国歌斉唱はトランペット奏者のウィントン・マルサリスが担当、コイントスは第1回、第2回スーパーボウルMVPのバート・スターが行った。
ハーフタイムショーには、アップウィズピープルが登場した。
コマーシャル料金は。30秒55万ドル(約1億1100万円)で、長年広告を出していたアメリカの自動車メーカーは、スポンサーを下りたが、代わって日産自動車が2分間220万ドルの権利を買った[22]。タイメックスは、新型腕時計の宣伝のため、紅海のアカバ湾の海底約20mに沈めた二階建ての家ほどの腕時計に潜水夫が遭遇するフィルムを製作した[21]。
1月30日、この試合のビデオを中国に贈る計画が持ち上がり、かつてスポーツ中継のアナウンサーをしたこともあるロナルド・レーガンアメリカ合衆国大統領によるアメリカンフットボールを中国国民向けの紹介もビデオテープに収められた[23]。
日本におけるテレビ中継
試合経過
ドライブごとの試合経過 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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試合開始から2プレー目で、ウォルター・ペイトンがボールをファンブル、ラリー・マクグリューがベアーズ陣19ヤードでこれをリカバーした(このプレーについてマクマーンは試合終了後に間違ったプレーコールをしてしまったことに責任を感じるとコメントした。)。このプレーで攻撃権を得たペイトリオッツはイースンが3本連続でパス不成功(第1ダウンで先発TEのリン・ドーソンがひざを負傷し退場した。)、試合開始からわずか1分19秒でトニー・フランクリンが36ヤードのFGを決めて3-0とリードした[4]。続くベアーズの攻撃でマクマーンからゴールトへの43ヤードのパス成功などからケビン・バトラーがFGを決めて3-3の同点となった[7]。
両チームがそれぞれパントに終わった後、リチャード・デントとウィルバー・マーシャルがイースンをサック、ファンブルしたボールをダン・ハンプトンがペイトリオッツ陣13ヤードでボールをリカバーし3ヤードまで戻した。ここでウィリアム・ペリーがボールを持ったものの1ヤードロス、ペリーのハーフバックオプションプレーによるNFL入り後初のパスも不成功に終わり、バトラーがFGを蹴り6-3となった[7]。続くペイトリオッツの攻撃ではデントがクレイグ・ジェームズにヒットしてファンブルを誘い、マイク・シングレタリーが敵陣13ヤード地点でリカバーした。2プレー後にスーウィーが11ヤードのTDランをあげてベアーズが13-3とリードを拡げた[7]。第1Q終わりから第2Q最初にかけてのペイトリオッツの攻撃はパントとなり、これをリターナーのキース・オルテゴが12ヤードリターンし、自陣41ヤードという絶好の位置からベアーズが攻撃権を得た。ベアーズは10プレーで59ヤードを進み、最後はマクマーンが2ヤードのTDランをあげて20-3となった[7]。
続くペイトリオッツは3プレーで13ヤードを後退、パントを強いられた。しかしスーウィーがファンブルしたボールをレイモンド・クレイボーンが自陣46ヤード地点でリカバーした。このプレーでレスリー・フレージャーはひざを負傷し、選手としてのキャリアを終えた[8]。
第2Q途中、ペイトリオッツのヘッドコーチ、レイモンド・ベリーはQBをイースンからスティーブ・グローガンに交代させた[7]。ペイトリオッツは敵陣37ヤードまでボールを前進させたが55ヤードのFGによるリスクを避けパントを選択、ベアーズは11プレーで72ヤードを前進し、バトラーがこの日3本目となるFGを決めて23-3で前半が終了した[4]。
前半ペイトリオッツは21回のプレー中、4回しかボールを前進できず、トータルオフェンスは19ヤード、パス成功2回、ファーストダウン1回、3得点に抑えられた[7]。一方ベアーズのオフェンスは236ヤードを獲得し23得点をあげた。
後半最初の攻撃でペイトリオッツはファーストダウンを1回更新したが、グローガンが2回サックされパントに終わった。前半だけで4回パントを蹴ったリッチ・カマリロは、当時スーパーボウル記録となった62ヤードのパントでベアーズに自陣4ヤードからの攻撃を強いた[7]。しかしペイトリオッツのディフェンスはベアーズのオフェンスを止めることができず、マクマーンがペイトンにハンドオフフェイクをし、ゴールトへの60ヤードのパスを成功、8プレー後にマクマーンが1ヤードのTDランをあげて、スーパーボウル記録となる96ヤードのTDドライブを完成させて30-3となった[7]。ペイトリオッツの後半2回目の攻撃ではレスリー・フレージャーの代わりに入ったレジー・フィリップスがグローガンのパスをインターセプト、28ヤードをリターンしTD[4][7]、37-3となった。
その後さらにペイトリオッツのWRセドリック・ジョーンズがグローガンから19ヤードのパスをキャッチ後、ファンブル、ウィルバー・マーシャルがこれをリカバーし、敵陣37ヤードまでリターンした。数プレー後にデニス・ジェントリーへの27ヤードのパスが成功、ベアーズは1ヤード地点までボールを前進させた。ここで冷蔵庫の異名を取る巨漢ペリーがオフェンスに起用されTD、44-3となった[7]。ベアーズが第3Qにあげた21得点は現在でもスーパーボウル記録として残っている。
第4Q初めにペイトリオッツはようやく12プレーで76ヤードを前進、グローガンからアービン・フライヤーへの8ヤードのTDパスが決めて44-10としたが、その後ヘンリー・ウェクターがグローガンをエンドゾーンでサックしセイフティをあげて、46-10で試合は終わった[7]。ベアーズがあげた46得点は第18回、第19回スーパーボウルにおける38得点を更新するスーパーボウル記録となった。また36点差での勝利も第18回スーパーボウルでのオークランド・レイダースが29点差で勝利したスーパーボウル記録を更新した[4][7]。
ベアーズは大勝したがウォルター・ペイトンは自身唯一の出場となったスーパーボウルでタッチダウンをあげることができなかった。彼は22回のランで61ヤードを獲得し[4]、この試合のリーディングラッシャーとなったが最もゲインしたプレーも7ヤードにとどまった。ゴールライン付近で得点する機会も何度かあったが、3ヤード地点からの攻撃で2ヤードロス、4ヤード地点からのランで2ヤードのゲインに終わった。
マクマーンはパス20回中、12回成功、256ヤードを獲得、スーパーボウル史上初の2TDランをあげたQBとなった[4]。ゴールトはわずか4回のレシーブで129ヤードを獲得、平均32.2ヤードを稼いだ[4]。シングレタリーはスーパーボウル記録タイの2ファンブルリカバーをあげた。ディフェンスはスーパーボウル記録となる合計7サックを2人のQBに浴びせると共に、4ファンブルリカバーをあげた[7]。マイク・ディトカヘッドコーチはトム・フローレスに次いで選手・ヘッドコーチのそれぞれでスーパーボウルリングを手に入れた史上2人目の人物となっている[4]。
イースンは6本のパス全てを失敗し、スーパーボウルの先発QBとして史上初めてパス成功0に終わった。グローガンはパス30回中17回成功、177ヤード、1TD、2INTであった。ペイトリオッツのランはわずか7ヤードに抑えられ[4][7]、リーディングラッシャーは3回のキャリーで4ヤードを獲得したトニー・コリンズであった。
ペイトリオッツの第3ダウンコンバージョンは、10回中1回しか成功しなかった[1]。
試合終了後
試合終了後、48時間を経ずしてチャレンジャー号爆発事故が起きたため、恒例となっているスーパーボウル優勝メンバーのホワイトハウス訪問は行われなかったが、2011年10月7日、シカゴ・ベアーズの熱烈なファンであるバラク・オバマ大統領により[24]、当時の優勝メンバー(ジム・マクマーン、マイク・ディトカら)によるホワイトハウス訪問が実現した[25]。
2011年11月8日、ウィリー・ゴールトの自宅に強盗が入り、スーパーボウルリングを盗んだ。同年12月、ロサンゼルスのダウンタウンにある宝石店で彼の盗まれたリングは見つかり、ゴールトの手に戻った。ビバリーヒルズにあるこの店のオーナーは、盗品を買った疑いで逮捕され、その後2万ドルの保釈金を払って釈放された。このとき、1983年の第17回スーパーボウルに優勝したワシントン・レッドスキンズのスーパーボウルリングも見つかっている[26]。
- ^ a b “The 10 Worst Super Bowls”. スポーツ・イラストレイテッド. 2013年12月5日閲覧。
- ^ AFL統合前の旧NFLでは8回優勝している
- ^ Aaron Tallent (2020年2月4日). “50 Greatest Super Bowl Performances of All Time”. ATHLON SPORTS. 2020年6月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “スーパーボウルヒストリー”. NFL JAPAN. 2012年1月28日閲覧。
- ^ “MNF History: 1985”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月1日閲覧。
- ^ Brian Ditullio (2010年12月2日). “The Bears' 12-0 Season Meets The Miami Dolphins”. bleacherreport.com. 2013年8月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa Richard J. Brenner (1988). THE COMPLETE SUPER BOWL STORY. London: ARMADA. pp. 97-102. ISBN 0-00-693278-9
- ^ a b c d Roy Taylor. “1985 Chicago Bears-World Champions Again”. bearshistory.com. 2012年1月29日閲覧。
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- ^ Jon Greenberg (2010年1月15日). “Shuffling down memory lane”. ESPN. 2012年1月29日閲覧。
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- ^ “Headband Isn't a Laughing Matter; $5,000 Fine Stands”. ロサンゼルス・タイムズ (1986年1月14日). 2015年2月9日閲覧。
- ^ “This Week in 1985”. ESPN (2010年10月21日). 2013年5月18日閲覧。
- ^ 「日本のハリ」は頼れる助っ人 花形選手を治し話題に 朝日新聞 1986年1月24日朝刊17ページ
- ^ a b スーパーボウルはマネーゲーム TVCMは30秒1億円 ヤミ値20万円の入場券も にゅうす・らうんじ 朝日新聞 1986年1月24日夕刊3ページ
- ^ ベアーズV 記録的な大差 強力DF大活躍 朝日新聞 1986年1月28日朝刊17ページ
- ^ スーパーボウルビデオを中国に 大統領もh一役 朝日新聞 1986年1月31日 夕刊14ページ
- ^ “大統領、第20回SB王者のベアーズをホワイトハウス招待”. NFL JAPAN (2011年9月22日). 2012年1月28日閲覧。
- ^ “第20回SB制覇のベアーズ、25年越しのホワイトハウス訪問”. NFL JAPAN (2011年10月8日). 2012年1月28日閲覧。
- ^ “Willie Gault's stolen ring recovered”. ESPN (2011年12月17日). 2015年2月9日閲覧。
- 1 第20回スーパーボウルとは
- 2 第20回スーパーボウルの概要
- 3 背景
- 4 テレビ放送とエンターテイメント
- 5 スターティングラインアップ
- 6 脚注
- 第20回スーパーボウルのページへのリンク