益田景祥
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益田 景祥(ますだ かげよし、天正3年(1575年)[注釈 1] - 寛永7年(1630年)7月13日)は、石見国の国人、戦国武将、長州藩士。毛利家の重臣で問田益田家の初代。
注釈
- ^ 「益田河内家譜録」は没年を54歳、逆推すると生年は天正5年(1577年)とする。一方、「閥閲録」巻九では益田織部所收系譜により56歳、逆推すると生年は天正3年(1575年)とする(「萩藩閥閲録」第一卷P.165)。
- ^ 大友宗麟の外孫。
- ^ この時、豊臣秀吉から藤原定家の色紙と早舟の茶碗という高麗焼を賜わっている。
- ^ 娘を甥の元堯に娶わせているが、これは景祥と元堯の関係を考慮してのことと推測される。
出典
- ^ “宗像才鶴は益田景祥 毛利家家臣の子と判明”. www.hitoyoshi-sharepla.com. 2024年2月22日閲覧。
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