田原川 (南丹市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/11 11:46 UTC 版)
観測地
- 水質測定地
- 京都府公共用水域水質測定地点 – 桂川との合流地点付近(日吉町殿田前田)[4]
- 南丹市水質検査採水場所(3ヵ所) – 佐々江トンネル付近(日吉佐々江)、五ヶ荘グランド付近(日吉町四ツ谷室堰)、ヴェルビューヴィレッジ付近(日吉町田原駅前)[5]
- 水位観測地
- 雨量観測地
- 四ツ谷雨量観察所 – 日吉町四ツ谷柏木5にある、京都府南丹土木事務所が管理するテレメータ観測所[6]
- 殿田雨量観察所 – 日吉町殿田大貝15-2にある、京都府南丹土木事務所が管理するテレメータ観測所[6]。
- ライブカメラ
四ッ谷八景
四ツ谷八景は、1869年(明治2年)の秋、四ツ谷東谷在住の歌人・精舎文明と幣家安信が、各々に八首(景)短歌を謡って岡安神社の旧拝殿に絵馬として献歌奉納したものである。四ツ谷八景で謡われてた景観は、地域の文化遺産として、四ツ谷史跡名勝保存会が保存活動を行っている。八景のうち、3つが田原川に関連するものである[10]。
- 国師岩秋月
四ツ谷東谷にある国師岩(こくしいわ)と呼ばれる大岩は、夢想国師が諸国行脚の途中、この岩上で座禅を組んだと伝えられている、約25㎡もある巨石。付近に「ユデン橋」と名付けられた橋があり、昭和初期頃まで、行者講の禊の場であった。“ユデン”とは湯あみ、湯田のこと[10]。
- 樫堰夕照
田原川では、上流の田貫や明日ヶ谷、海老谷川の管流し(一本流し)木材を吉野辺の浜で筏に組み合わせ、長淵へと運んだ。田原川では川幅が狭く水量もすくなかったため、堰をして貯水し抜いた水の勢いを利用して筏を流していた。仕事始めは灌漑用井堰が撤去される9月15日の放生会に当たり、仕事仕舞いは井堰を設置する5月15日と決められていた[10]。
- 渓川筏乗
筏1台に木材才1万~1万3千。長さは3間(14尺)を12枚(本)繋ぐ。田原川上流の田貫を出発して明日ヶ谷を下る筏と、海老谷川支流の奥山から中村の浜に下る筏を一つにして、片野から殿田の前田へ、そして保津峡へと下って行った[10]。
殿田の消防道
1941年(昭和16年)4月27日(日)の出火により、当時130軒ほどの殿田で104軒が熱失し600人を超える被災者を出した、いわゆる「殿田の大火」を教訓とし、殿田では家を建てる際には数軒おきに田原川へと避難でき、取水のための消防車両も通れる道を設けることが義務付けられた。そのため、田原川の殿田区間には、30を超える田原川への階段(消防道)が設けられている。
- ^ a b 京都府. “淀川水系桂川上流圏域河川整備計画 - 京都府”. 京都府. 2024年5月11日閲覧。
- ^ 『ゼンリン地図 京都府南丹市 北 美山・日吉』株式会社ゼンリン、2022年7月、79-107頁。
- ^ a b “南丹市公の施設の設置及び管理に関する条例”. 南丹市 (2006年1月1日). 2024年4月20日閲覧。
- ^ 京都府. “公共用水域水質調査機関”. 京都府. 2024年4月26日閲覧。
- ^ 南丹市. “河川等水質検査測定結果 水質検査採水場所”. 南丹市. 2024年4月26日閲覧。
- ^ a b c “第2編 風水害等災害応急対策計画 亀岡市”. 亀岡市. 2024年4月26日閲覧。
- ^ a b 南丹市. “避難に関する河川の水位”. 南丹市. 2024年4月26日閲覧。
- ^ a b 京都府. “水位一覧表(南丹土木) - 京都府 河川防災情報”. 京都府. 2024年4月26日閲覧。
- ^ 京都府 (n.d.). “田原川 殿田 河川防災ライブカメラ”. 京都府. 2024年4月26日閲覧。
- ^ a b c d 『京都・ひよし四ツ谷八景パンフレット』住みよいむらづくり協議会、2021年3月。
- ^ 『佐々江あたご山野草苑パンフレット』佐々江あたご山野草苑。
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