狛猫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/10 07:31 UTC 版)
由来
1720年(享保5年)に絹屋佐平治によってこの地で織りだされた丹後ちりめんの主要産地として繁栄した峰山町では、蚕や繭、種紙(蚕の卵のついた紙)を食い荒らすネズミを追い散らし農民と共に戦う猫を大事にしていた[4][5][1]。
金刀比羅神社の境内にある木島神社は、1830年(文政13年)に、養蚕の守護神として、峯山藩のちりめん業者によって京都太秦にある蚕ノ社から勧請された[1][6]。木島神社と猿田彦神社は、一つの屋根の下に同居するような形で建てられており、向かって左が木島神社にあたり、その前に阿形の狛猫がある[7]。
歴史
1832年(天保3年)に、阿形の親子猫の石像が近江商人の外村家によって奉献された[7]。
外村家は江戸日本橋に店を構える商人で、上野(群馬県)と生絹や太織袖を、武蔵熊谷(埼玉県)と生絹袖を、上野桐生や武蔵八王子(東京都)や甲斐田(山梨県)と織物を、陸奥川又(福島県)と生絹を、柳馬場(京都市)と紅花の取引を行い、上野国から下仁田街道を幾度も往来した[8]。この下仁田街道のほぼ終わりの辺りにある小川村は、文政年間(1818年〜1831年)の家数57戸のうち、多くが養蚕・生糸・絹の生産を生業とする一大産地であり、村内の地蔵寺[注 1]には本尊として「猫地蔵」が祀られていた[8]。これは1561年(永禄4年)の鏑川の大洪水で流れ着いた地蔵菩薩と一緒にいた猫を祀ったものと記録され、この地蔵菩薩と猫が、蚕を食害するネズミを退治する霊験があるとして近隣の養蚕農家の参詣を集めていた[8]。外村は、商いの往来でこの逸話を聞き知っていたことから、1830年(文政13年)に峰山に機織養蚕の守護神として木島神社が勧請されたとしり、親子猫の石像を奉献したと思われる[8]。そのため当初の猫石像はネズミを威嚇するべく口を開いた阿形の一体のみであり、猫地蔵であったと考えられる[8]。神社の境内には、狛犬など一対をなす像に限らず、祭神と縁のある様々な動物が「神使(しんし)」あるいは「随神(ずいしん)」として祀られる例があり、その一例とみられる[9]。
その後、14年後の1846年(弘化3年)に吽形の猫が奉献され、一対の狛猫となった[8]。この奉献者や作者は明らかでないが、それまで建物のなかに飾られていることが多かった狛犬などが、現在のように参道に置かれるようになったのは江戸時代中頃からのことであり、この流行にのったものと思われる。
製作者
親子猫の石像の作者は、台座に刻まれた記録によれば鱒留村の長谷川松助である[10][5][2]。松助は当時の丹後で名の知れた石工で、京丹後市域に多くの作品が残る[2]。とくに有名なものに、丹後地方最大の農民一揆である宮津藩文政一揆で犠牲となった吉田新兵衛の供養のために築かれたと伝わる京都府下最大級の立位石仏・平地地蔵がある[7]。
右の狛猫の作者は不詳とされ、寄進された年代も1846年(弘化3年)と、松助の狛猫とは14年の開きがあることや、阿吽の左右が一般的な狛犬とは逆であることから、もともとは阿形の親子猫の石像のみがあり、これにあわせるために吽形の狛猫が製作され、奉納されたと考えられている[7]。
注釈
出典
- ^ a b c d 田中尚之『石工松助を語る』清水印刷、2003年、32頁。
- ^ a b c d e f g “京丹後市デジタルミュージアム狛猫”. 京丹後市. 2020年10月6日閲覧。
- ^ “STORY #043 300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊”. 日本遺産. 2020年9月21日閲覧。
- ^ 木村ひとみ (2016年9月13日). “蚕の守護神こま猫PR”. 読売新聞: p. 32
- ^ a b c d グレゴリ青山『グレゴリさんぽ第53話』小学館(月刊「フラワーズ2019年1月号」)、2018年、209-212頁。
- ^ a b “ことひら22号2面” (PDF). 金刀比羅会. 2018年9月15日閲覧。
- ^ a b c d 京丹後市史編さん委員会『京丹後市史資料編 京丹後市の伝承・方言』京丹後市、2012年、68頁
- ^ a b c d e f g 「木島神社の親子石像について」『旦波』第9号、2016年、34頁。
- ^ 上杉千郷『狛犬ものがたり』戒光祥出版、2008年、102頁。
- ^ 月刊キャッツ「猫おじさんが行く 日本全国ネコ紀行」ペットライフ社、1997年、78頁
- ^ 和田博雄『石工松助について-丹後の石工について-』6頁(「両丹地方史第58号」1993.10.24発行より抜粋)
- ^ “我が町のこま猫さんです”. 毎日新聞. (2018年1月7日) 2018年9月11日閲覧。
- ^ 寺脇毅 (2018年3月13日). “「狛猫」で地域おこし”. 朝日新聞: p. 33
- ^ “金刀比羅神社のねこプロジェクト”. 2018年9月11日閲覧。
- ^ “ずっと地元を見守ってきたニャ 金刀比羅神社の「狛猫」”. シッポ. 2018年9月10日閲覧。
- ^ “ことひら27号1-2面” (PDF). 金刀比羅会. 2018年9月15日閲覧。
- ^ 京丹後市観光振興課「京丹後へGO! 2016年春・夏」京丹後市観光情報センター、2016年、9頁
- ^ 『海の京都体験手帖 2016秋・冬』海の京都DEMO、2016年、2-3頁。
- ^ “京都丹後鉄道あおまつ”. 京都丹後鉄道. 2020年9月22日閲覧。
- ^ “ことひら26号1-2面” (PDF). 金刀比羅会. 2018年9月15日閲覧。
- ^ 樋口 (2017年8月1日). “郷土料理と文化財コラボ”. 北近畿経済新聞: p. 2
- ^ 秘書広報広聴課『広報京丹後vol.172』京丹後市、2018年、15頁。
- ^ 洛西タカシマヤ開店35周年記念祭チラシ「丹後フェア」1面
- ^ “洛西タカシマヤ×ラクセーヌ専門店「開店35周年記念祭」 洛西ニュータウン唯一の百貨店の歩み”. 2018年9月11日閲覧。
- ^ 寺脇毅 (2018年9月6日). “郷土料理にネコ 新名物”. 朝日新聞 2018年9月13日閲覧。
- ^ “『日本遺産「丹後ちりめん回廊」体験学習会(京丹後コース)』を開催しました”. 2018年9月12日閲覧。
- ^ “京丹後の「狛猫」知って”. 北近畿経済新聞: p. 8. (2017年9月1日)
- ^ a b c d e f 「木島神社の親子石像について」『旦波』第9号、2016年、35-36頁。
- ^ “「狛猫」や「猫神様」など、話題の“猫がいる神社”をご紹介します”. ねこのきもち. 2020年10月7日閲覧。
- ^ “新潟県長岡市にある猫の神社に行ってきた! 南部神社 別名猫又権現 狛猫をじっくり観察! 動画有 雑記”. ねこのおしごと. 2020年10月7日閲覧。
- ^ 宮本昭治『石猫を探して』宮本昭治、2006年、6頁。
- ^ 久保田和幸『狛犬探訪』さきたま出版会、2003年、28頁。
- ^ a b “球磨郡水上村「生善院」”. 猫スポット日本全国マップ. 2020年10月7日閲覧。
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