熊本市交通局380形電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/06 15:46 UTC 版)
運用と廃車
本系列の車両は、坪井線にある一部のカーブにて上下線の間隔が不十分ですれ違えないため、坪井線を通る4系統(上熊本駅前 - 広町 - 体育館前)では使用禁止であった[12]。また川尻線(7系統)は一貫して四輪単車での運行であったため同線にも入線しなかった[13]。従って本系列はそれ以外の系統、特に2系統(現・A系統)と3系統(現・B系統)で用いられた[5]。
ワンマンカーの1000形は試運転や乗務員訓練を経て1966年(昭和41年)2月1日よりワンマン運転を開始した[14]。当初の使用系統は2系統[14]。その後、在来車でワンマンカー改造された1200形や1350形が登場するのに従い同年6月1日から3系統、8月1日からは1系統(田崎橋 - 子飼橋)にもワンマン運転が拡大している[14]。当初、ワンマン運転は料金前払いの前乗り・後降り方式を採っていたが、11月1日より後払い制の後乗り・前降り方式となった[14]。
本系列4形式30両の投入と単車専用の川尻線廃止により熊本市電の単車は1968年(昭和43年)までに全廃された[15]。しかしながら本系列についても、在来車と性能があわない(本系列の主電動機出力29.84キロワットに対し在来車は38キロワットで統一)、使用線区に制限がある、さらには乗客数の伸び悩みといった問題から余剰をきたし、ツーマンカーの中から1968年3月16日付で計8両 (381・384・385・394・397・398・403・405) とほかの17両から常時2両ずつの計10両が休車となった[2]。この休車となった8両は翌1969年(昭和44年)4月5日付で廃車された[15]。
1936年製と在来車よりも古い本系列は、状態が悪くなる車両が続出したこともあり1970年(昭和45年)以降、路線の縮小にあわせて廃車が進行する[5]。まず1970年4月1日付で10両 (382・383・386・391・393・395・396・399・401・402) が廃車[15]。同年6月20日付でさらに7両 (380・387・388・389・390・392・404) が休車となり、翌1971年(昭和46年)4月15日付で廃車されて380形・390形・400形はいずれも形式消滅した[5][15]。
1972年(昭和47年)2月末限りで1系統が廃止されると1000形も余剰となり、同年4月1日付で3両 (1001・1002・1005)、8月22日付で残り2両 (1003・1004) も廃車されてこちらも形式消滅となった[5][15]。
廃車日一覧
- 1969年4月5日付
- 380形381・384・385
- 390形394・397・398
- 400形403・405
- 1970年4月1日付
- 380形382・383・386
- 390形391・393・395・396・399
- 400形401・402
- 1971年4月15日付
- 380形380・387・388・389
- 390形390・392
- 400形404
- 1972年4月1日付
- 1000形1001・1002・1005
- 1972年8月22日付
- 1000形1003・1004
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- ^ a b 『熊本市電70年』176-179頁
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『鉄道ピクトリアル』通巻223号115-117・138頁
- ^ a b c d 『熊本市電が走る街今昔』150-154頁
- ^ 『熊本市電70年』81頁
- ^ a b c d e f g 『熊本市電70年』85-87頁
- ^ 『熊本市電が走る街今昔』148-150頁
- ^ a b c d e 『なにわの市電』28-29頁
- ^ 『なにわの市電』210頁
- ^ 『なにわの市電』138-139頁
- ^ 『熊本市電が走る街今昔』37頁
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻688号86-90頁
- ^ 『熊本市電が走る街今昔』98-99頁
- ^ 『熊本市電が走る街今昔』114頁
- ^ a b c d 『熊本市電70年』95-97頁
- ^ a b c d e 『熊本市電70年』90-91頁
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