無量寺 (東京都北区) 歴史

無量寺 (東京都北区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 00:16 UTC 版)

歴史

同寺の創建年代は不詳なものの[3]平安時代後期から同地に寺院があったことが分かっている[1]。境内には、14世紀頃に作られた板碑が多数あることが確認されている[3]

江戸時代慶安元年(1648年)に、江戸幕府から8石5斗余の朱印地を授かったと言われている[4][2]。さらに元禄14年(1701年)には、5代将軍徳川綱吉の母・桂昌院が参詣した[3]。なお、創建当時から長い間、寺号は長福寺であったが、9代将軍徳川家重の幼名・長福丸と同じであるため、これを避けて現在の無量寺にしたと言われている[4][3]

本堂には本尊の不動明王像を安置する[3]。ある夜当寺に盗賊が忍び込んだが、この不動明王の前で動けなくなり捕まったことから、同像は「足止め不動」として信仰されるようになった[4][3]。本尊の隣には平安時代後期に作られたといわれる阿弥陀如来坐像があり、江戸六阿弥陀の一つとして古来より親しまれている[4]。また、大師堂には「雷除けの本尊」とされる聖観音像(伝・恵心作)が安置されている[3]

主な施設

  • 本堂
  • 山門
  • 地蔵堂
  • 大師堂
  • 鐘楼
  • 三宝会館(葬儀が可能)

アクセス

近隣施設

参考文献

  • 北区教育委員会編『北区文化財案内』1988年
  • 「西ヶ原村 無量寺」 『新編武蔵風土記稿』 巻ノ18豊島郡ノ10巻内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763978/20 
  • 無量寺”. 歩きたくなるまち東京北区. 2020年11月17日閲覧。
  • 文化財説明板無量寺”. 北区飛鳥山博物館 (2015年4月23日). 2020年11月17日閲覧。
  • 斎藤長秋 編「卷之五 玉衡之部 佛寶山無量寺」 『江戸名所図会』 3巻有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、305-307頁。NDLJP:1174157/157 



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