浮世亭三吾・美ユル 芸風

浮世亭三吾・美ユル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/12 02:12 UTC 版)

芸風

初期は音曲漫才で、美ユルが生恵幸子のように流行歌を金切声で独唱したり、舞台上にピアノを持ち込んで童謡を合唱したりしていた。

その後、美ユルが三吾の欠点を早口で一方的にあげつらい、三吾が狼狽したところで突如敬語になり「…お父さま」の一言で締めくくる、今喜多代の芸を摸したしゃべくり漫才に移行した。

三吾の弟子には大吾・小吾(大吾は恰幅のいい男装の女性)がいた。

メンバー

浮世亭三吾(うきよてい さんご、本名・沼口 正利、1943年12月14日 - )

  • 大分県出身。福岡県の中学校卒業後、サラリーマンをしながら喜劇曽我廼家明蝶主催の「明蝶学院」で修行を積む。浮世亭とん平に入門し、学院で同期だった十吾と浮世亭三吾・十吾(一時期コンビ名は3×5=15)を結成。1969年に大阪万国博覧会で初舞台を踏み、若手実力派から中堅へと順調に育ったものの、十吾の引退に伴い1989年に解散。しばらく弟弟子で日系人の浮世亭ジョージ[1]と、「浮世亭三吾・ジョージ」名義で活動したが、娘と組むため1993年にコンビ解消。
  • 顔が獅子舞に似ている(ジョージと組んでいた頃からよく弄られていた)。

美ユル[2](みゆる、本名・沼口 美ゆる、1976年2月28日 - )

  • 三吾の長女。幼少時から漫才師志望が強く、尼崎市立尼崎産業高等学校卒業を待って父と組む。
  • 当初は「さやか」という屋号があった。

出演番組


  1. ^ 元「浮世亭ジョージ・ケンジ」。ジョージは太平サブロー・シローを一時解散していた太平シローと1970年代末にコンビを組んでいたことがある。ケンジは「国分健二」の芸名で落語芸術協会に所属。
  2. ^ 美ユル『昔から何度も』”. ふたご親子漫才 三吾・美ユル「人生二度なし」Powered by Ameba. 2022年10月30日閲覧。
  3. ^ 2014年10月、「チケット兵動」コーナーに結成20周年ライブの宣伝でゲスト出演。吉本興業所属者の出演が圧倒的に多い同コーナーでは珍しい松竹芸能所属ゲストとなった。


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