法隆寺の仏像 伝橘夫人念持仏

法隆寺の仏像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 14:09 UTC 版)

伝橘夫人念持仏

銅造阿弥陀如来及両脇寺像(伝橘夫人念持仏)3躯 木造厨子1基 一具

国宝。飛鳥時代後期(白鳳期)。大宝蔵院に安置。厨子と、内部に安置される阿弥陀三尊像を合せて1件の国宝に指定されている(「彫刻」部門での指定)。通称は橘夫人厨子(たちばなぶにんずし)。昭和戦前期までは金堂内陣に西向きに安置されていた[110]。天平19年(747年)の『資材帳』に「宮殿像弐具」とあり(宮殿(くうでん)は厨子の意)、その下に割注で「壱具金泥押出千仏像 壱具金泥銅像」とあるが、このうち前者が国宝の玉虫厨子にあたり、後者の「壱具金泥銅像」が橘夫人厨子を指すと考えられている[35][111]。橘夫人とは光明皇后の生母・県犬養宿禰三千代(あがたのいぬかいのすくねみちよ)のことで、厨子内の阿弥陀三尊像は同夫人の念持仏と伝える。この厨子を橘夫人所縁とする伝承は、すでに鎌倉時代の『聖徳太子伝私記』にみられる[112]。また厨子自体の須弥座下框(したがまち)に「光明后母公阿弥陀座」の墨書がある[113]

厨子

橘夫人厨子。内部に銅造阿弥陀三尊像を収める。

高さ263.2センチ。厨子は台脚付きの須弥座部と、その上に載る宮殿部(くうでんぶ、仏龕)の、大きく2つの部分に分かれる。須弥座部は格狭間(ごうざま)入りの台脚上の四隅に柱を立て、柱間に羽目板を入れ、上下に請花と反花を設ける。宮殿部は四隅に厚板2枚をL字形に組み合わせて立ててこれを柱とし、柱間は4面とも観音開きの扉2枚ずつを設ける。宮殿部の上には天蓋が載る。この天蓋は金堂内陣の天蓋を模したものと思われ、構成やデザインが金堂のものと一致している。天蓋上部は寄棟屋根形の上と下に吹返板が斜めに張り出し、その下部は金堂天蓋と同様、鱗形と逆三角形の垂飾りを描いている。厨子は、現状では須弥座部の大きさに比して宮殿部が過大で、安定感を欠いている。このアンバランスな外観は当初からのものではなく、後の改造によって宮殿部が拡張されたことによる。奈良県教育委員会による厨子の修理(1967年)の際の所見によれば、当初の宮殿部は、須弥座の上框の上に4本の八角柱を立て、柱間は扉を入れず吹放しとした開放的な構えであった。柱も現状より短く、現状のような須弥座部と宮殿部の大きさがアンバランスなものではなかった。須弥座と天蓋は白土地に彩色、宮殿部の扉は黒漆塗で、装飾方法を異にしているのも、宮殿部の改造に起因している。須弥座の四面の羽目板には白土地に彩色の絵画があるが、剥落が著しい。正面の羽目板は宝瓶形の供物台を挟んで、両側に合掌する菩薩を描く。背面は蓮池上に3本の蓮茎が立ち上がり、その上に各1体の蓮華化生(れんげけしょう)を描く。両側面はそれぞれ連山と僧形1体を描く。これらの絵画は濃い隈取で立体感を表しており、初唐様式の影響がうかがわれる。正面の画像は厨子内の銅造阿弥陀三尊像を供養するように描かれている。宮殿部の扉の表裏には黒漆塗の地の上に金線で仏画を描く。扉は計8枚あるが、正面左扉は後補、背面右扉は表裏とも黒漆で塗りつぶされており、図柄は不明である(説明の便宜上、厨子の外面から見て向かって左の扉を「左扉」とする)。したがって、当初の仏画があるのは残り6面の扉である。正面右扉は表面に金剛力士、裏面に如来像(釈迦説法図)を表す。左右側面の計4面の扉は、表面に各1体の天部像を描き、計4体で四天王を構成する。これら4面の扉の裏面には各1体の菩薩像を描くが、これらは左側面、右側面ともに観音菩薩・勢至菩薩の一対をなす。背面左扉は一時期寺から流出して大阪の藤田家(藤田美術館創設者)の所蔵になっていたが、後に返却されたもので、表面に帝釈天を描く。この扉の裏面は描き直されており、当初如来像だったものが、上半身のみ菩薩像になっている。以上のうち四天王像は長安年間(701年 - 705年)作の西安慈恩寺大雁塔門框の四天王像との様式的類似が指摘されている。美術史家の秋山光和は、この厨子及び阿弥陀三尊像が県犬養宿禰三千代と関係する遺品であることを肯定したうえで、厨子は三千代の生前の製作であり、前述の宮殿部の改造は天平5年(733年)の三千代の没後に、娘の光明皇后によって行われたものと推定した[114]

銅造阿弥陀如来及び両脇侍像

銅造阿弥陀三尊像(伝橘夫人念持仏)(この写真では左脇侍と右脇侍の位置が現状とは逆になっている。)

橘夫人厨子内に安置。銅製浮彫の蓮池から3本の蓮茎が立ち上がり、その上に中尊阿弥陀如来坐像と両脇侍(観音菩薩立像、勢至菩薩立像)がそれぞれ乗る。三尊の背後には銅製浮彫の後屏を立てる。像高は中尊34.0センチ、左脇侍28.8センチ、右脇侍28.7センチ。蓮池は幅78.2センチ、奥行51.5センチ。後屏は縦53.5センチ、幅77.8センチである。中尊阿弥陀如来像は丸顔で眉と目との間隔が広く、上瞼を二重に表し、唇にはいわゆる古拙の微笑を浮かべる。髪は螺髪ではなく、渦巻状の線を彫出している。図像的には頭頂の肉髻が低いこと、手指の間に縵網相(まんもうそう、水かき)を表すこと、頸部に三道を表さないことなどが特色である。服制は大衣の下に偏衫(へんさん)を着す。両脇侍像はいずれもわずかに腰を捻って立つ。両肘を曲げて腕を前方に向け、中尊に近い側の手は掌を見せ、反対側の手は掌を上に向ける。プロポーションは体部に比して頭部が大きく、腰の位置が高い。三道を表さない点は中尊同様である。脇侍は蓮座と本体を一鋳とするが、中尊の蓮座は別鋳である。蓮座は蓮弁が幅広で、脇侍分は子葉に忍冬文を表す。中尊の光背も別鋳である。光背は後屏に取り付けられており、繊細な透彫の網文及び唐草文の外周に火焔を表す。三尊の足下の蓮池はさざ波や渦を浮彫し、全開、半開などの蓮葉を表す。後屏は3枚の銅板を蝶番でつないだもので、上部の輪郭は五連の弧を描く。表面には浮彫で蓮華化生5体と化仏7体を表し、化仏はいずれも透彫の天蓋を伴う[115]


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  181. ^ 昭和31年6月28日文化財保護委員会告示第34号及び第40号
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  183. ^ 平成51年6月5日文部省告示第110号





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