椿海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/03 02:39 UTC 版)
椿海(つばきのうみ、つばきうみ)または椿湖[1]とは、九十九里平野の北部、現在の千葉県東庄町・旭市・匝瑳市の境界付近に、江戸時代初期まで存在した湖である[注釈 1][2]。江戸時代に作成された『下総之国図』(船橋市西図書館所蔵)では、太田ノ胡水と表記されている。
注釈
- ^ 下総国の香取・匝瑳・海上郡の境界の地にあたる。
- ^ 椿の大木には邪神が住み、香取神宮がこれを東方の海中に椿の木ごと放逐したという伝説があり、矢指という地名は歌川広重六十余州名所図会に「上総矢さしヶ浦 通名九十九里」とあるように、源頼朝が海岸に99本の矢を立てたことに由来するとするのが通常であるが、この伝説では邪神を退治した矢が飛んでいった方向だとする[5][6]。
- ^ 多くの縄文丸木舟が発見されている千葉県の中でも旧椿海周辺に集中しており、出土地点が海抜4メートル前後に集中していることから、縄文時代当時の水際汀線を示すものと推測されている[8]。
- ^ 東廻・西廻海運を開いた河村瑞賢は新川の開削(椿海の干拓)にも携わっている[13]。
- ^ 元徳川氏旗本で書院番を務めていたとも[1]。
- ^ そしてこの舟の流れ着いた鎌数の地に、1671年(寛文11年)鎌数伊勢大神宮が建立された。
- ^ この新田割元名主制度は、正徳5年まで続いた[21]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j 平凡社 1996, pp. 44–45.
- ^ "椿海". ブリタニカ国際大百科事典. コトバンクより2022年7月1日閲覧。
- ^ a b c d e 角川日本地名大辞典 1984, p. 566.
- ^ a b c d e “椿海の干拓”. 大利根用水農業水利事業 -水土の礎-. 一般社団法人農業農村整備情報総合センター. 2022年9月12日閲覧。
- ^ 椿海(つばきのうみ) - 伝説とむかし話 - 匝瑳市. 2022年8月24日閲覧。
- ^ 九十九里浜 - まるごとe!ちば - 千葉県公式観光物産サイト. 2022年8月24日閲覧。
- ^ 『古代日本の軍事航海史 上巻』, p. 43.
- ^ 『ここまで解けた 縄文・弥生という時代』, p. 67.
- ^ 『続日本古墳大辞典』, p. 192.
- ^ 『平野は語る(日本を知る)』, p. 150,161.
- ^ 青山宏夫「干拓以前の潟湖とその機能 : 椿海と下総の水上交通試論」『国立歴史民俗博物館研究報告』第118巻、国立歴史民俗博物館、2004年、193-217頁、doi:10.15024/00001288、ISSN 0286-7400、NAID 120005748477。
- ^ 東京湾史, p. 112-113.
- ^ 河村瑞賢~西廻り航路を開拓したプロジェクトリーダー - 酒田市. 2022年8月24日閲覧。
- ^ 旭市史編さん委員会 1980, p. 54.
- ^ a b c d e f g 千葉県史料研究財団 2007, pp. 817–820.
- ^ a b "椿海干拓". 世界大百科事典. コトバンクより2022年7月1日閲覧。
- ^ a b c d "辻内刑部左衛門". 朝日日本歴史人物事典. コトバンクより2022年7月3日閲覧。
- ^ 新川「鎌数伊勢皇大臣」 - 伝説とむかし話 - 匝瑳市. 2022年8月24日閲覧。
- ^ 千葉県史料研究財団 2007, p. 821.
- ^ 旭市史編さん委員会 1980, pp. 90–93.
- ^ a b 旭市史編さん委員会 1980, pp. 93–94.
- ^ 旭市史編さん委員会 1980, pp. 108–113.
- ^ "椿海". 日本大百科全書. コトバンクより2022年7月1日閲覧。
- ^ 水害を乗り越えて 千葉県立中央博物館 大利根分館. 2022年8月24日閲覧。
- ^ 利根川河口堰ホームページ - 河口堰概要 - 目的・諸元. 2022年8月24日閲覧。
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