梅の屋鶴寿 梅の屋鶴寿の概要

梅の屋鶴寿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/07 04:51 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

来歴

俗称は諸田亦兵衛。始めは吉田佐吉、後に松枝鶴寿と号す。狂歌堂真顔の門人で、神田佐久間町に住んでいた。実家は秣(まぐさ)商をしていたため、秣翁ともいった。鶴寿は浮世絵師歌川国芳の気性を愛し、常に衣服を与え、庖厨を助けた。嘉永6年(1853年)6月28日に両国柳橋の割烹河内屋において書画会を開催した時、国芳は畳三十畳敷ほどの大きな紙を広げて水滸伝九紋龍史進を描いて周囲を驚嘆させたとされる。享年65。

参考文献

  • 岩切友里子 「梅屋と国芳(一)」 日本浮世絵協会編 『浮世絵芸術』第105号 日本浮世絵協会、1992年
  • 岩切友里子 「梅屋と国芳(二)」 日本浮世絵協会編 『浮世絵芸術』第106号 日本浮世絵協会、1992年
  • 飯島虚心著 玉林晴朗校訂 『浮世絵師歌川列伝』 中公文庫、1993年



「梅の屋鶴寿」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

梅の屋鶴寿のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



梅の屋鶴寿のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの梅の屋鶴寿 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS