栗栖野城 城主

栗栖野城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/09 09:51 UTC 版)

城主

永禄年間の築城と考えられているため、酒井越中守頼重が初代城主であるとされる。その子の信政は、明智光秀の丹波攻めが開始されると居城の栗栖野城に籠城したとも、秀治が亡くなる天正七年(1579年)に一族郎党共に討死したとも、天正三年(1575年)11月15日に病死したとも云われ、その動向に関しては複数の説がある。弟の依信は嫡男の信定の後見人として城代に任じられた後に、八上城に籠城したが、戦の最中に病で亡くなっている。城は八上城の落城と同時に開城した。城主の信定は城を退去し、農民として栗栖野に土着し、慶長年間に死没したと「丹波志」に記載されている。

酒井信政像

若林寺

栗栖野城の北山麓にある若林寺は信政が永禄元年(1558年)に、頓譽露天上人を開基として建立し、以後栗栖野酒井氏の菩提寺として代々継承されている。元来、城とともに山上にあったため、丹波攻めの戦火により焼失したが、信政の孫である酒井孫左衛信蜜が若林寺を再興した。

遺構

地蔵堂

二の丸にある地蔵堂にはイボ取り地蔵が安置されており、様々な伝承が残されている。

栗栖野城地蔵堂

古城歌

栗栖野城に伝わっている歌とされる。地蔵堂内にある。

栗栖野城古城歌

本丸跡

栗栖野城本丸

出典

関連事項




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