枯葉剤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 17:13 UTC 版)
アメリカでの枯葉剤健康被害
1984年、アメリカのベトナム帰還兵らが枯葉剤製造会社に対して集団訴訟を起こした。訴訟に加わった帰還兵らは4万人を超えた[6]。しかし、裁判が審理入りする直前になり、突如原告代表者が会社側との和解を発表、製造会社側は枯葉剤の被害を認めぬまま原告に補償金1億8000万ドルを支払うことで同意した。裁判で帰還兵らの枯葉剤健康被害が公にされる事がないまま、帰還兵らの証言はお蔵入りとなったのである。この突然の和解を不服とした帰還兵や遺族らが1989年に再び集団訴訟をおこしているが、却下された。
1991年、アメリカの枯葉剤曝露帰還兵に対して救済法が成立し、15の疾病に枯葉剤との関連が認められた。ベトナム帰還兵の子供世代への健康被害調査も行われ、帰還兵の二分脊椎症の子供および女性帰還兵に限りその他の先天障害をもつ子供へも補償が認められた[6]。
アフリカ諸国の独立戦争における除草剤
1961年から1975年にわたるアンゴラでのアンゴラ独立戦争の際には、ポルトガル軍はアンゴラ解放人民運動に対して除草剤を使用した[7]。また、ギニアビサウでのギニアビサウ独立戦争の際にも、ポルトガル軍は人民革命軍 (FARP) に対して除草剤を使用している。これらの地域で撒布された除草剤はベトナム戦争で使用された枯葉剤とは異なる。
麻薬作物と除草剤撒布
麻薬作物の除去を名目としてコロンビアやアフガニスタンなどでグリホサート成分と他の薬剤を調合し、濃厚にした成分を空中撒布する作戦が行われてきたが、賛否両論あり議論されている[8]。これらの地域で撒布された除草剤はベトナム戦争で使用された枯葉剤とは異なる。
枯葉剤をテーマとした作品
- 『花はどこへいった』 - ドキュメンタリー。坂田雅子監督。
- 『Front Line』スティーヴィー・ワンダー。ベトナム戦争に関する曲。枯葉剤Orangeについて言及。
- 『Agent Orange』- ドイツのスラッシュメタルバンド、ソドムが1989年に発売したアルバム。タイトル曲はベトナム戦争及び本枯葉剤について歌っている。
- ^ a b 中村悟郎『戦場の枯葉剤』岩波書店、1995年、66頁。ISBN 4000098462。
- ^ ストックホルム国際平和研究所『ベトナム戦争と生態系破壊』岩波書店〈岩波現代選書〉、1979年、214頁。
- ^ “米、ベトナムで枯れ葉剤の浄化開始 205億円規模 完了までに10年”. 2019-04-21AFP (2019年4月21日). 2019年5月2日閲覧。
- ^ a b 『ザ・スクープスペシャル』米軍は沖縄で枯葉剤を使用した!? テレビ朝日 2012年5月20日
- ^ 企画展「オペーレーション・レッドハット1971〜沖縄をゆるがした毒ガス移送〜」 沖縄県公文書館
- ^ a b NHK ETV特集『枯葉剤の傷痕を見つめて~アメリカ・ベトナム 次世代からの問いかけ~』
- ^ 芝生瑞和『アンゴラ解放戦争』岩波書店〈岩波新書〉、1976年、158, 181頁頁。
- ^ “コロンビアにおける違法コカ栽培と政府の対策”. 2021年3月22日閲覧。
枯葉剤と同じ種類の言葉
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