東京都立墨田川高等学校 象徴

東京都立墨田川高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/13 01:58 UTC 版)

象徴

校章

校章は、墨堤の桜を表す桜の花弁に都立第七新制高等学校の「七高」の表記であり、校名変更後も変わらずに用いている(両国高校の校章にも「三高」の表記がある。)旧制七中の徽章は、後身たる高校と同様に桜花の中に七中と浮かしてあるが、花弁の縁を二重にして同時に種子を表し、上の一弁だけ一重で、種子から発芽する勢いを示していた。校名は、できるだけ地名に因んだもので、七中の歴史を表現したものであることが条件ということで、校内関係者で協議をして決定した。校名の他の候補としては常用漢字の中から地域に因んだ「墨田・言問・寺島・すみだがわ・七橋(当時、隅田川に架かっていた橋の数をかけたもの)」が挙がった。

校歌

校歌の作詞は近隣に居を構えていた幸田露伴の筆による、「隅田の川は吾が師なり」の歌い出しで始まる漢語調の格式高いもので、1925年(大正14年)に制定された。初代の砂崎徳三校長が、幸田露伴宅にお三度参りをし、露伴がその熱意に心打たれて筆を執ったと言われている。四編からなる歌詞は、出来たものから娘の幸田文により学校に届けられ、4番の歌詞以外の順番の裁量は学校に委ねられた。直筆の歌詞は永らく所在が不明だったが、その一部が発見され、敷地内に4番の直筆の歌詞を彫った校歌碑が卒業生によって寄贈されている。

また、作曲は「あかとんぼ」や「こいのぼり」で有名な童話作家である弘田龍太郎によるものであり、これも砂崎校長が軽井沢の七生寮の近くに自らの別荘を保有しており、その隣に別荘のあった弘田氏との縁による。戦後の男女共学化の折に、七中16期で新進気鋭のピアニストとして活躍していた梶原完より映画音楽などを多く手がけた作曲家の奥村一の手に渡り、混成四部合唱に編曲された。校歌は制定以来、歌詞一切を変えることなく今日に至るまで歌い継がれている。

歌詞の最後のフレーズである「不断の努力学ばなん」の「学ばなん」とは、相手にあつらえを望む意を表す終助詞の「なむ」であるため、「学んでほしい」という露伴の学生への意志が込められている。かつての露伴の居宅は墨田区立露伴児童遊園としてその名を残している。








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