木下牧子
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略歴
東京都生まれ。東京都立芸術高等学校(ピアノ専攻)を卒業、1浪後東京藝術大学作曲科に入学し、同大学卒業、同大学院修了(管弦楽曲「壺天」が作曲科首席卒業作品として演奏されている)。在学中、作曲を石桁真礼生、黛敏郎、浦田健次郎、丸田昭三に、ピアノを岩崎操に師事する。日本現代音楽協会会員。
20代にはオーケストラ作品が多く、日本音楽コンクール管弦楽作曲部門や日本交響楽振興財団作曲賞に入選、「序奏とアレグロ」で吹奏楽デビューもしている。30代は合唱が中心となり、親しみやすいアカペラから管弦楽伴奏の大作まで幅広く発表、約10年遅れて書き始めた歌曲もすでに多数の歌曲集を世に出しており、最も人気のある作曲家の一人である。2003年に初めてオペラを発表、その後吹奏楽、管弦楽の作曲に復帰し、現在はオールラウンドな活躍を見せている。オペラ「不思議の国のアリス」(モーツァルト劇場20周年委嘱作品)初演で三菱UFJ信託音楽賞奨励賞を受賞した。現在までに、毎回編成の異なる5回の作品展を開催。2019年に開催した、第5回「オーケストラ作品展」(大井剛史指揮、岡田奏ピアノソロ、東京交響楽団)は、とりわけ好評を博した。
詳細
若い頃は「オケにしか興味」がなかった[1]という木下が、合唱の世界でデビューしたのは、声楽家であり指揮者の鈴木成夫との出会いによるところが大きい。歌曲「涅槃」(1978年)の譜面を見て絶賛した鈴木が指揮する東京外国語大学混声合唱団コール・ソレイユのためにと、彼女に新作を委嘱した。これが木下の合唱組曲第1作となる「方舟」(作詩:大岡信)である[2]。鈴木は後に「かなりエポック・メイキングな作品」だったと振り返っている。この組曲や次作の「ティオの夜の旅」によって、カワイ出版の社員から「ポスト新実徳英と位置づけている」と言われるほどであるから、彼女の(合唱界への)登場がどれだけよろこびをもって迎えられたかがうかがえるだろう。
以後、木下は今日に至るまで合唱の方面に重心を傾けているが、自身は「本質的には器楽の作曲家」だとしている。実際、1990年代半ばまではオーケストラ作品を折に触れて発表しており、1999年に行われた鼎談[3]で「大きい編成を書きたくてしょうがない」と告白している。その彼女が「究極的にやりたかったこと」は合唱と管弦楽の組み合わせであり、それは「邪宗門秘曲」の管弦楽伴奏版(2001年)、「四万十川」(1999年)、オペラ「不思議の国のアリス」(2003年)などで果たされている。
歌曲についても、若い頃はほとんど興味がなかったとのことだが、1990年代半ばから突然その魅力に目覚め、2000年までに3冊の歌曲集を出版するほどに精力を傾けている。この分野には、自身の合唱曲の編曲も含まれている。
一方で、「私はクラシック系純音楽作品だけ作曲して市民権を得たいと思い、ずっと作品を書き続けてきましたし、これからもそのつもりです」[4]として、自身の商業音楽への進出には否定的である。これは彼女の「ホールで演奏されたとき最も輝く曲を書き続けたい」[4]との信念に基づくものであり、マスメディアを通した彼女の作品の発表はNHKで数作品程度のみである。
固有名詞の分類
日本の作曲家 |
太田雅友 小林香 木下牧子 栗本修 藤原道山 |
日本のクラシック音楽の作曲家 |
たかの舞俐 久田典子 木下牧子 森川陽子 権代敦彦 |
オペラ作曲家 |
クリストフ・ヴィリバルト・グルック エルザ・レスピーギ 木下牧子 ダグラス・ムーア ユゼフ・ミハウ・ポニャトフスキ |
吹奏楽の作曲家 |
岩井直溥 フィリップ・ウィルビー 木下牧子 レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ ハワード・ハンソン |
女性作曲家 |
たかの舞俐 久田典子 木下牧子 リリ・ブーランジェ ベアトリッツ・デ・ディア |
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