朝鮮人街道 現代

朝鮮人街道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/11 06:37 UTC 版)

現代

滋賀県道2号大津能登川長浜線が朝鮮人街道とほぼ並行し、一部重複している[10]。新道開通による廃道化や鉄道建設による分断があり、当時の道を全線踏破することは不可能である[11]

現代に入って朝鮮人街道の知名度は低くなっていたが、1990年平成2年)に滋賀県立彦根東高等学校新聞部が調査を行い、調査結果を同校の新聞に掲載した[12]。特に能登川駅付近は鉄道開通後の市街地形成によって土地が大きく改変されており[13]、現地調査やインタビューだけでなく古地図の調査によって正確な道筋が明らかになった[14]。この調査は大きな反響を呼び、同校新聞部は韓国文化放送から取材を受けた[15]

その後、沿道の自治体も古道として宣伝するようになり、街道を辿れるよう案内が設けられるに至った[12]

脚注

参考文献

  • 浅井建爾『道と路がわかる辞典』(初版)日本実業出版社、2001年11月10日。ISBN 4-534-03315-X 
  • 浅井建爾『日本の道路がわかる辞典』(初版)日本実業出版社、2015年10月10日。ISBN 978-4-534-05318-3 
  • ロム・インターナショナル(編)『道路地図 びっくり!博学知識』河出書房新社〈KAWADE夢文庫〉、2005年2月1日。ISBN 4-309-49566-4 
  • 門脇正人『「朝鮮人街道」をゆく』(新装版)サンライズ出版〈近江文庫〉、2018年2月15日。ISBN 978-4-88325-188-9 

関連項目


  1. ^ a b c d 「滋賀県百科事典」 「朝鮮人街道」の項(大和書房 1984年)
  2. ^ a b c d e f 浅井建爾 2001, pp. 102–103.
  3. ^ a b c ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 146.
  4. ^ a b 「野洲郡史 下巻」「交通」(橋川正編 野洲郡教育会 1927年)
  5. ^ a b ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 147.
  6. ^ a b c ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 148.
  7. ^ 浅井建爾 2015, pp. 126–127.
  8. ^ a b c d 「朝鮮通信使をよみなおす 「鎖国」史観を越えて」 P123「近江守山宿と東門院守山寺」(仲尾宏著 明石書店 2006年)
  9. ^ 「朝鮮通信使と亀山藩」(亀山市歴史博物館)
  10. ^ 門脇正人 2018, p. 176.
  11. ^ 門脇正人 2018, p. 185.
  12. ^ a b 森田真奈子 (2019年10月23日). “誠信の交わり 隣国への思い(12) 「平和の道」たどってみて 朝鮮人街道を探した愛荘町立歴史文化博物館元館長 門脇正人さん(76)”. 中日新聞. https://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20191023/CK2019102302000206.html 2019年11月2日閲覧。 
  13. ^ 門脇正人 2018, pp. 179–183.
  14. ^ 門脇正人 2018, pp. 76–78.
  15. ^ 門脇正人 2018, pp. 157–158.


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