朝日ジャーナル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 23:26 UTC 版)
『朝日ジャーナル』(あさひジャーナル)は、日本の週刊誌。1959年に創刊され1992年に廃刊となった。当時の発行元は朝日新聞社。
注釈
出典
- ^ a b c d e 『朝日新聞』1992年4月16日付
- ^ 野村尚吾『週刊誌五十年』毎日新聞社、1973年、p.320.
- ^ 神足裕司「団塊世代と新人類の近くて遠い仲 朝日ジャーナルとSPA!の共通点と相違点」『別冊宝島345 雑誌狂時代!』宝島社、1997年、pp.36-40。
- ^ a b c 塩澤実信「高級週刊誌『朝日ジャナール』の栄光と挫折」『雑誌100年の歩み 時代とともに誕生し盛衰する流れを読む 1874-1990』グリーンアロー出版社、1994年、pp.191-200.
- ^ 石子順造『戦後マンガ史ノート』紀伊國屋書店、1980年、p.130
- ^ 中野晴行『マンガ産業論』筑摩書房、2004年、p.103。
- ^ 夏目房之介『笑う長嶋』太田出版、1998年、p.188。
- ^ a b 『毎日新聞』1992年4月16日付
- ^ 竹内洋『革新幻想の戦後史』中央公論新社、2011年。ISBN 9784120043000。p440
- ^ 「週刊誌の徹底研究 週刊誌スキャンダル事件史 1970-1982」『創』1982年5月号、p.185
- ^ 呉智英「復活『朝日ジャーナル』の奇怪」『文藝春秋』2009年7月号、p.353
- ^ a b 宮森雅照「『朝日ジャーナル』回収事件顛末 ―雑誌にとっての編集権を考える―」『出版の検証 敗戦から現在まで 1945~1995』文化通信社、1996年、pp.116-119。
- ^ a b 『中日新聞』1992年4月16日付
- ^ 長尾三郎『週刊誌血風録』講談社文庫、2004年、pp.237-238。
- ^ a b 篠田博之「誌面刷新『朝日ジャーナル』の内部事情」『創』1991年3月号、p.43
- ^ 筑紫哲也『旅の途中 巡り合った人々 1959-2005』朝日新聞社、2005年、pp.121,207,297.
- ^ 日本ジャーナリスト会議代表委員・柴田鉄治「<筑紫哲也さんを悼む> 関心の広さと絶妙なバランス感覚」『ジャーナリスト』2009年1月25日号。
- ^ a b 篠田博之「誌面刷新『朝日ジャーナル』の内部事情」『創』1991年3月号、p.47
- ^ 下村満子「本誌の休刊について」『朝日ジャーナル』1992年4月24日号(『朝日ジャーナルの時代』に再録)
- ^ 「ノンフィクション 生き返れ相次ぐ総合誌休刊 シンポや「怒りの復活」号」『読売新聞』2009年6月1日。
- ^ 「宇野常寛×荻上チキ「生きた"小さなメディア"を作れ」若手評論家が語る「新聞・雑誌の死後」(前編)」『サイゾー』2009年7月号、インフォバーン。
- ^ 朝日ジャーナル「怒りの復活」 創刊50年、単発で asahi.com 2009年4月11日。
- ^ 堀田貢得『何が週刊誌を凋落させたのか!? 体験的出版ジャーナリズム論』大村書店、2006年、p.296。
- ^ 竹内オサム『戦後マンガ50年史』筑摩書房、1995年、pp.110-111。
- ^ 岡留安則『『噂の真相』25年戦記』集英社・集英社新書、2005年、pp.95-96
- ^ 篠田博之「誌面刷新『朝日ジャーナル』の内部事情」『創』1991年3月号、p.45
- ^ 筑紫哲也『ニュースキャスター』集英社新書、2002年、p.160
- ^ ツルシカズヒコ『「週刊SPA!」黄金伝説 1988-1995 おたくの時代を作った男』朝日新聞出版、2010年、p.107
- ^ 伊勢暁史「既成誌の概念を否定した『SPA!』『テーミス』」『創』1991年3月号、p.70
- ^ 外野祐二「『アエラ』創刊、朝日新聞の期待と不安」『創』1988年6月号、p.49
- 1 朝日ジャーナルとは
- 2 朝日ジャーナルの概要
- 3 歴代編集長
- 4 関連書籍
固有名詞の分類
- 朝日ジャーナルのページへのリンク