曽禰韓犬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 09:50 UTC 版)
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経歴
天武天皇4年(675年)4月、白村江の戦いの前軍の将軍であった間人大蓋とともに遣わされ、大忌神(おおいみのかみ)を広瀬の河曲(かわわ)(現在の奈良県北葛城郡河合町川合の廣瀬大社にあたる)に祭っている。時に位階は大山中(だいさんちゅう)[1]。
その後、同10年(681年)12月、柿本猨・高向麻呂・石上麻呂・中臣大島・舎人糠虫・書智徳らとともに小錦下を授けられている[2]。
脚注
参考文献
- 『日本書紀』(五)、岩波書店〈岩波文庫〉、1995年
- 宇治谷孟訳『日本書紀(下)』、講談社〈講談社学術文庫〉、1988年
- 『日本古代人名辞典』4 - p960、竹内理三・山田英雄・平野邦雄編、吉川弘文館、1963年
- 『日本古代氏族事典』【新装版】p276 - 277、佐伯有清:編、雄山閣、2015年
- 1 曽禰韓犬とは
- 2 曽禰韓犬の概要
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