曽立昌とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 曽立昌の意味・解説 

曽立昌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 10:01 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

曽 立昌(そう りつしょう、Zeng Lichang、? - 1854年)は、太平天国の指導者の一人。

広西省潯州府桂平県出身。1853年北伐に出発した林鳳祥に代わって揚州の守備にあたった。欽差大臣琦善らの包囲軍をたびたび退け、頼漢英の援軍を得て安全に撤退した。この功で夏官又正丞相に任じられた。1854年、北伐軍が静海で行き詰ると、陳仕保・許宗揚とともに救援を命じられた。援軍は黄河を渡河し、山東省に入って臨清を占領した。そこからさらに北上しようとしたが、北上の途上で参加した新兵たちが反対し、南の李官荘に退いた。そこで清の欽差大臣勝保の攻撃を受け、清水鎮に退いた。清水鎮では清軍に勝利したため、再び北上しようとしたが、やはり新兵たちの反対にあった。その後冠県でも大敗し、さらに南に逃れて江蘇省豊県付近で黄河を渡河しようとしたが失敗し、戦死した。

参考文献

  • 羅爾綱『太平天国史』、中華書局



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「曽立昌」の関連用語

曽立昌のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



曽立昌のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの曽立昌 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS