曽根虎盛 曽根虎盛の概要

曽根虎盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 05:02 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
曽根 虎盛
時代 戦国時代安土桃山時代
別名 曽根昌清
主君 武田信玄武田勝頼徳川家康
氏族 曽根氏
父母 父:曽根昌世
テンプレートを表示

概要

武田信玄奥近習六人衆の一人である曽根昌世の子として生まれたという。信玄の嫡男武田義信の乳人子であり義信に仕えており、「美和神社文書」によれば、永禄8年(1565年)6月には義信とともに甲斐国二宮美和神社笛吹市)へ太刀を奉納している[4][5]。同年8月には義信の謀反が発覚し、「曽根系図」に拠れば義信事件に連座して飯富虎昌長坂昌国義信事件に連座し誅されたのは、昌国ではなく長坂勝繁)とともに「曽根周防」が成敗されたという[6]。ただし、「曽根周防」と「曽根九郎左衛門尉」を同一人物とした場合、九郎左衛門尉はこれ以後も存命しているため、「曽根周防」は九郎左衛門尉の弟にあたるとも考えられている[7]

元亀年間(1570年から1573年)以降には駿河国久能城に在城している[8]。年未詳5月8日には曽根弥兵衛尉とともに参府を命じられている[9]

諏訪大社上宮普請在家諸役書上には周防守の同心の名が見られるが、同帳の年代が天正年間であることから、周防守の子息にあたるとも考えられている[10][11]。ほか、高野山成慶院に宛てた書状一通が知られる[12]

参考文献

  • 平山優「曽根昌世」『新編武田信玄のすべて』新人物往来社、2008年
  • 丸島和洋「曽禰虎盛」 柴辻俊六・平山優・黒田基樹・丸島和洋編『武田氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2015年

関連項目


  1. ^ 平山(2008)、p.323
  2. ^ 丸島(2015)、p.429
  3. ^ 平山(2008)、p.323
  4. ^ 平山(2008)、p.323
  5. ^ 丸島(2015)、p.429
  6. ^ 平山(2008)、p.323
  7. ^ 平山(2008)、p.323
  8. ^ 丸島(2015)、p.429
  9. ^ 丸島(2015)、p.429
  10. ^ 平山(2008)、p.323
  11. ^ 丸島(2015)、p.429
  12. ^ 丸島(2015)、p.429


「曽根虎盛」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「曽根虎盛」の関連用語

1
18% |||||

2
10% |||||

曽根虎盛のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



曽根虎盛のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの曽根虎盛 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS