日本とポルトガルの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/17 02:06 UTC 版)
文化交流
日本の鎖国以後両国の経済関係は小さくなったが、文化、学術面では比較的大きなつながりが特に日本国内にある。ポルトガルは日本と最初に直接交渉を持ったヨーロッパの国家で、当時に移入された文物はボタンやタバコや和菓子など、今でもポルトガル語起源の名前で呼ばれ日本社会に定着している。学術面でも、イエズス会宣教師のルイス・フロイスは『ヨーロッパ文化と日本文化』、『フロイス日本史』など、戦国時代の日本を窺い知ることができる貴重な記録を残している。その他に特筆されるべき人物として、江戸時代の鎖国を経た19世紀の日本開国後、1899年から1929年まで日本で暮らし、徳島で没した外交官のヴェンセスラウ・デ・モラエスは多くの日本、及び日本人に関する随筆を残している。山口県の一部(周南市など)には、煙草谷(たばこだに)というポルトガル語起源の名字が存在する。
また、ポルトガルの旧植民地で現在でもポルトガル語を公用語とするブラジルにも19世紀末から多くの日本人移民が渡り、1980年代からその子孫である日系ブラジル人が日本の製造業工場に労働者として渡った事から、日本人がポルトガル語と接する機会は増えた。1993年に発足した日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)には多くのブラジル人選手が参加し[63]、ボランチなどのサッカー用語も日本に定着した。他にも音楽や格闘技などでブラジルやポルトガルの文化が日本に紹介され、ファドは日本にも愛好者がいる。なお、ブラジルポルトガル語とポルトガル本国の言語(イベリアポルトガル語)は発音や語彙の違いが指摘され、日本で教えられるポルトガル語の多くはブラジル系であるが、意思疎通自体には概ね問題はないため、ポルトガル人にも通じる。
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