新井有貫
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新井 有貫(あらい ありつら/あらい ゆうかん、1849年12月24日(嘉永2年11月10日) - 1909年(明治42年)12月1日)は、幕臣、日本の海軍軍人。運用、航海の大家で三浦功(以下「三浦」)とともに海軍士官の目標とされる存在であった[1]。旧名は鐘吉。最終階級は海軍中将。墓所は青山霊園。
- ^ a b 『歴史と名将』81頁
- ^ 『勝海舟』324頁
- ^ 「兵学寮往復 柳宗五郎外数名撰擧の件兵学寮申出」
- ^ 『海軍兵学校物語』11頁、185-189頁
- ^ 『大海軍を想う』77頁
- ^ 『二十七八年海戦史』「黄海海戦」
- ^ 「第3編 戦利艦船の収容引揚及ひ回航/第1章 収容艦船の概要」
- ^ 「8月11日 巡洋艦「ワリヤーク」引揚委員長 新井海軍少将に賜りたる勅語」
- ^ 『官報』第7086号、明治40年2月15日。
- ^ 『官報』第4350号「叙任及辞令」1898年1月4日。
- ^ 『官報』第6337号「叙任及辞令」1904年8月13日。
- ^ 『官報』第7107号「叙任及辞令」1907年3月12日。
- ^ 『官報』第3676号「叙任及辞令」1895年9月28日。
- ^ 『官報』第6727号「叙任及辞令」1905年12月1日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
- ^ 『官報』第6819号「叙任及辞令」1906年3月27日。
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