戯文 戯文の概要

戯文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 04:07 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

その源流は南宋の時、浙江省温州(当時は永嘉)で行われた温州雑劇にあるという。

永楽大典』の巻13965から巻13991までの27巻に宋元戯文33篇を収録していたが、最終巻の3篇(小孫屠・宦門子弟錯立身・張協状元)のみが現存し、残り30篇は外題のみが知られる。それを見るとその23は元雑劇と共通している[1]。南宋の作品で現存しているのは上記の『永楽大典』に収められている「張協状元」のみである。

元代には北方の雑劇に押されていたが、元末明初の高明が『琵琶記』を書いたことから南戯が復興した。ほぼ同じころに『拝月亭』・『劉智遠』・『荊釵記』・『殺狗記』の四大戯文が現れ、『拝劉荊殺』と総称された[1]

雑劇が曲律の厳しい制約を受け、たとえば劇を通して原則として1人しか歌えず、幕(折)の数は4に固定されていたが、南戯ではあらゆる人が歌うことができ、幕の数に制約がなく50-60幕に至る長編作品もあり、ひとつの幕の中で宮調を変えることができるなど制約が少なく[1]、また時には自由に北曲を取り入れたりした。また文人が多く参加したため、元雑劇が口語の使用が多いのに比べて、文語的要素が強い。

南戯はその後政府によって厳しく抑制されていったん停滞するが、明後期の嘉靖年間に新たに崑山(現江蘇省蘇州市東部)の魏良輔が改良した崑曲が隆盛したことから、嘉靖から万暦にかけて南戯の黄金時代を迎える[1]。これ以降については伝奇を参照のこと。


  1. ^ a b c d 田中謙二「解説」 『中国古典文学大系53 戯曲集(下)』平凡社、1971年、525-555頁。 


「戯文」の続きの解説一覧




戯文と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「戯文」の関連用語

戯文のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



戯文のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの戯文 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS