山本徳郁
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エピソード
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- 大学生の頃に母親を亡くし、当時家族は夢や目標を失って落ち込んでいたが、KIDは告別式の3日後の大学選手権に出場し優勝を果たす。その勇姿を見た妹の聖子も後に世界選手権で優勝。聖子はKIDについて「どん底にいた家族を救っていつも盛り上げてくれる凄い存在です」と語る。
- K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜の同日には、姉・美憂と妹・聖子のアテネオリンピック出場が懸かったジャパンクイーンズカップが開催された。しかし、美憂は3位、聖子は準優勝に終わり、ともにオリンピック出場を逃した。敗れた二人はショックを堪えてそのままKIDの応援に駆けつけ、KIDのKO勝利を見届けた。後に美憂と聖子は「私たちがオリンピック出場を逃したのはものすごく辛かったけど、今思えば私たちのオリンピック出場の代わりに神様が徳郁をスターへと導いてくれたのかな」と語っている。
- K-1ルール初挑戦の際、ボクシングの世界フェザー級統一王者、ナジーム・ハメドのファイトスタイルを参考にしたと語っている。実際、KIDのK-1デビュー戦のテレビ解説を務めた畑山隆則は、ノーガードで相手のパンチを避け続けて強烈なパンチでKO勝ちしたKIDを見て「KID選手の戦い方はハメドみたいですね」と評価した。また、雑誌「smart HEAD」の「ボウズヘアの似合う有名人1位」にKIDが選ばれてインタビューを受けた際には「ナジーム・ハメドのサイドとバックは刈り上げで、トップ〜前髪だけ残して髪がペタって乗ってる感じがいい」と髪型も参考にしていることを明かした。
- 格闘技において王者や格上の選手が赤コーナーで入場順が後、挑戦者や格下の選手が青コーナーで入場順が先となっているが、KIDは「常に挑戦者の気持ちでいたいから」と、HERO'S世界王者になるなどスーパースターとなった後も常に青コーナーから入場していた(ランキング上位の選手が赤コーナーになることが義務付けられる修斗や、トーナメントの組み合わせ・試合順によって赤コーナーを使用することが自動的に決まるHERO'Sの1Dayトーナメントなどの場合は除く)。これは同じくMMAに転向してきた姉・美憂と甥・アーセンにも受け継がれている。
- 10代の頃、レスリング修行のため4年ほどアメリカに住んでいたこともあり、英語を話すことができる。本人曰く、メキシカン寄りなのでスペイン語訛りの英語とのこと。
- 高校時代にベンチプレスにハマり、MAXは125kgで当時の体重は59kg。
- 2009年3月、インターネットオークションサイトに当時の愛車ハマー・H2を出品したところ、約560万円で落札された[29]。
- シュートボクシングで活躍した吉鷹弘は「総合格闘技界とキックボクシング界の両方を通じてナンバーワンの右フックの使い手はKID」と絶賛した[30]。
- ハメドのスタイルを参考にし、パンチによるKO勝ちが多いKIDだが、ムエタイのファンでもある。M-1ムエタイチャレンジをはじめとした多くのムエタイ大会を観戦しており、ワンロップ・ウィラサクレックとの対談・技術交流では喜びをあらわにしていた[31]。
- レスリング一家に育ち、幼少の頃から試合のための体重調整のために食事節制をしたことにより、体重が増えにくい体質となっている。にもかかわらず、適性階級は60kg前後の階級でありながら、総合格闘技とK-1では本来より2階級も上の70kg級でも活動。全盛期には「俺より体重が20kg重い奴とでも戦う。体重差なんて関係ねえ!」とまで言い放っていた。しかし、2007年1月のレスリング挑戦の際に右肘を脱臼してから総合格闘技に復帰した際に「今までは総合格闘技のメジャー団体で俺に合う階級がなかったから仕方なく中量級(70kg級)で戦ってきた。でも、これからは俺が軽量級を世間に広める」と宣言し、以降は以前とは正反対に極端に契約体重にこだわって試合の交渉が難航することが増えた。修斗時代と同じ65kg契約の試合でも拒否するようになり、「俺のベストはWECにおけるバンタム級(61.2kg級)。この階級を作ってほしい」と明言したため、フェザー級を65kg級に設定することを予定し、KIDをフェザー級GPの主役として参戦させようとしていたDREAMとの交渉が難航。結局、双方が譲歩し、DREAMのフェザー級は63kgに設定された。
- 2012年4月12日の深夜、都営浅草線五反田駅構内の線路にて、老齢の男性がホームに転落し額から血を流したまま意識がない状態でいた。誰もが何もできずにいたところ、偶然そこに居合わせたKIDは真っ先に線路に飛び降り、男性を抱え上げようとした。なかなか持ち上げられなかったが、KIDの姿を見てためらっていた周囲のサラリーマン達も協力して線路に降り、男性の救出に成功した。幸いにも男性は裂傷程度で大事に至らなかったとのこと(女性セブン2012年5月3日号より)。
- 「神の子」「KID」というニックネームの由来は本人曰く、「ミュンヘンオリンピックに出場した父親(山本郁榮)は自分の中では神。だから俺は神の子(KID)」「格闘の神様の子供」というもの。しかし、この発言以前に、「大学時代、俺の小柄な身体を見たレスリング部の先輩から、まるで子供みたいだから、『KIDだ』と渾名されたのが最初」とも本人が語っている。
- 甥っ子である山本アーセンのレスリングの実力にはアーセンが若い頃から太鼓判を押しており、よくKIDの公式ブログにはアーセンを褒め称える記事が掲載されていた。
- ラッパーの般若にクラブ内でラップを聞かせたことがあり、般若曰くかなり韻を踏んでいたらしい。
- ^ a b c 山本徳郁 UFC JAPAN
- ^ a b “KRAZY BEE Twitter公式アカウント「山本KID徳郁を応援して下さった皆様へ」”. KRAZY BEE OFFICIAL (2018年9月18日). 2018年9月19日閲覧。
- ^ “【DREAM】7・21KID欠場発表会見の全文「6か月ではなく、半分ぐらいで復活する」”. 格闘技ウェブマガジンGBR(現:eFight). (2008年7月18日) 2018年9月19日閲覧。
- ^ 『情熱大陸』(2007年2月4日放送分、TBS)、『格闘王』(2007年12月11日放送分、TBS)
- ^ “追悼。山本KID氏が語っていた戦う理由と「キャラじゃない」写真ポーズ拒否”. ワードリーフ株式会社(THE PAGE). (2018年9月19日) 2018年9月19日閲覧。 ※2018年10月01日付で『THE PAGE』公式サイトサービス提供終了の為、移転先の『Yahoo!ニュース』のページを出典とする。
- ^ “沖縄ヴィーガンフードフェスにゲスト出演”. Okinawa VEGAN FOOD FEST. 2018年4月20日閲覧。
- ^ “「KRAZY LEAGUE」設立への想い”. KRAZY LEAGUE公式サイト. 2018年5月29日閲覧。
- ^ “山本“KID”徳郁が離婚を発表、ブログには元妻・MALIAへの熱い想いも。”. Narinari.com. (2009年9月3日) 2022年8月24日閲覧。
- ^ “山本“KID”徳郁 MALIAと離婚 未練たっぷり「またMALIAと結婚する」”. デイリースポーツ online. (2009年9月4日) 2022年6月8日閲覧。
- ^ “山本“KID”徳郁、再婚していた 25日に第3子女児誕生”. ORICON NEWS. (2014年11月28日) 2022年6月8日閲覧。
- ^ “山本KID 女児誕生を報告「さっき産まれました」”. スポニチ. (2017年8月4日) 2022年6月8日閲覧。
- ^ “修斗コミッションが山本徳郁120日間のライセンス停止処分”. BOUT REVIEW. (2002年10月1日) 2018年9月19日閲覧。
- ^ “山本徳郁およびKILLER BEE所属選手に無期出場停止処分”. 日本修斗協会広報誌 BLOG版 (2006年2月21日). 2018年9月19日閲覧。
- ^ “【修斗】 KIDが協会とコミッションに謝罪。10/14横浜大会来場可能に”. BOUT REVIEW. (2006年10月13日) 2018年9月19日閲覧。
- ^ “リーボック、格闘家山本“KID”徳郁とパートナー契約締結”. リーボックプレスリリース (2006年11月27日). 2006年11月27日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “KID激白!UFCでベルト獲る!!”. デイリースポーツオンライン. (2011年1月14日). オリジナルの2012年7月31日時点におけるアーカイブ。 2018年9月19日閲覧。
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- ^ “山本KID徳郁 愛車の“つや消し”ハマーH2をヤフオクに出品”. 有名人&芸能人の愛車データベース (2009年3月22日). 2013年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月19日閲覧。
- ^ 格闘技通信2009年9月号
- ^ “KID、ムエタイ王者に学ぶ。山本“KID”徳郁×ワンロップ・ウィラサクレック”. スポーツナビ (2009年4月22日). 2018年9月19日閲覧。
- ^ “山本KIDの愛と夢 〜IT WAS ALL A DREAM〜”. U-NEXT. 2023年12月31日閲覧。
- ^ “山本KID徳郁 Instagram”. Mata. 2024年1月1日閲覧。
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