孝昭仁皇后とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 孝昭仁皇后の意味・解説 

孝昭仁皇后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/02 10:02 UTC 版)

孝昭仁皇后
清朝皇后
『孝昭仁皇后常服像』
在位 康熙16年8月22日 - 康熙17年2月26日
1677年9月18日 - 1678年3月18日

別称 孝昭静淑明恵正和安裕端穆欽天順聖仁皇后
出生 不詳
死去 康熙17年2月26日
1678年3月18日
順天府紫禁城坤寧宮
埋葬 景陵
配偶者 康熙帝
氏族 ニオフル(鈕祜禄)氏
父親 エビルン(遏必隆)
母親 シュシュギョロ(舒舒覚羅)氏
テンプレートを表示

孝昭仁皇后(こうしょうじんこうごう、満州語: ᡥᡳᠶᠣᠣᡧᡠᠩᡤᠠ
ᡤᡝᠩᡤᡳᠶᡝᠨ
ᡤᠣᠰᡳᠨ
ᡥᡡᠸᠠᠩᡥᡝᠣ
 転写:hiyoošungga genggiyen gosin hūwangheo)は、康熙帝の2番目の皇后。満洲鑲黄旗の出身。姓はニオフル(鈕祜禄)氏(Niohuru hala)。

経歴

太祖ヌルハチの外孫でもある重臣エビルンの娘。母は側妾のシュシュギョロ(舒舒覚羅)氏(Šušu gioro hala)。妹は康熙帝の温僖貴妃

康熙4年(1665年)、妃に封ぜられた。ヘシェリ氏死後の康熙16年(1677年)8月、皇后に立てられた。康熙17年2月26日(1678年3月18日)、崩じた。「孝昭」とされた。その後、夫の諡を重ねて孝昭静淑明恵正和安裕端穆欽天順聖仁皇后と加諡された。

伝記資料




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「孝昭仁皇后」の関連用語

孝昭仁皇后のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



孝昭仁皇后のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの孝昭仁皇后 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS