大久保忠愨 大久保忠愨の概要

大久保忠愨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 04:38 UTC 版)

第7代藩主・大久保忠真の長男・忠脩の長男。母は小笠原忠固の娘。正室は島津斉宣の娘。

天保2年(1831年)、父・忠脩が早世したため嫡子となり、天保8年(1837年)3月19日、祖父の忠真が急死したために家督を継いだ。まだ幼少だったため、忠真とともに改革を行なっていた二宮尊徳は重臣の反発によって失脚した。これにより、改革は後一歩のところで頓挫した。

安政6年(1859年)に31歳で死去した。跡は養嗣子の忠礼讃岐国高松藩主・松平頼恕の子)が継いだ。




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