名古屋妊婦切り裂き殺人事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/06 08:50 UTC 版)
被害者遺族のその後
事件後、被害者遺族の男性は男児を愛知県海部郡七宝町(現:あま市)内の実家(事件現場に最初に駆け付けた実父、即ち男児の父方の祖父宅)[新聞 1]に預け、事件発生から1年が経過した1989年3月時点でも事件現場アパートで独り暮らしをしていたが[新聞 22]、同年内に東京都内に転勤した[新聞 23]。
この事件により母体から取り出されるも一命を取り留めた男児はしばらくは父親の実家で育てられたが、父方の祖父が1991年(平成3年)に胃癌で死去した[書籍 5]。その3年後の1994年(平成6年)、男児は小学校入学に伴い父親・父方の祖母(男性の実母)と3人で母親である被害者女性の実家近くのアパートに引っ越したが、父親はしばらくして勤務先を退職し、会社を友人と共同経営するために準備を進めた[書籍 5]。1999年(平成11年)4月、男児は小学校6年生に進級したことをきっかけに父親・祖母とともに日本を離れてアメリカ合衆国・ハワイに移住した[書籍 5]。
町田喜美江は『新潮45』1999年10月号(新潮社)に寄稿した本事件の記事末文にて「男児は今年(1999年)春に小学6年生になったが、今なお『母親がいない本当の理由』を知らないという」と記述している[書籍 5]。
被害者女性の実父(男児の母方の祖父)は1999年8月時点で埼玉県浦和市(現:埼玉県さいたま市浦和区)に在住しており、町田喜美江の取材に対し「病気や事故で死んだのならまだ納得もできる。娘は特別な運命を背負って生まれてきてしまったんだ」と無念の思いを語った[書籍 15]。
女性の実父は公訴時効成立直前の2003年2月、『中日新聞』『読売新聞』取材に対し以下のように心境を話した[新聞 7][新聞 20]。
- 公訴時効成立直前で被疑者が逮捕・起訴された事件(例:福田和子)もあるが、いまさら犯人が逮捕されても娘は生き返らない[新聞 7]。
- たとえ逮捕されなくてもこのまま苦しみながら生きていくならそれでいいが[新聞 20]、「犯人が時効後に平然と社会で生活する姿」を想像すると娘が不憫だし、公訴時効制度が憎い[新聞 4]。
- あのような猟奇的犯行は「人間」にはできない[新聞 7]。
- 犯人も人の子として生まれてきた以上、「この15年間は罪の意識に苦しんできたはずだ」と思いたい[新聞 20]。
- 事件のことは忘れようとしているが、心には一生残る[新聞 7]。
- 娘の墓・仏壇は(義理の息子・孫が移住した)ハワイにあるからここ(自宅)にはない[新聞 7]。孫もそのうち事件のことを理解するかもしれないが、成長をゆがめないことを願いたい[新聞 7]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『中日新聞』1988年3月19日朝刊第一社会面31面「臨月の主婦殺される 腹部を切り裂かれ そばに赤ちゃん放置 名古屋・中川区のマンション」
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『中日新聞』1988年3月21日朝刊第一社会面31面「名古屋・中川区の若妻惨殺事件 不審な男浮かぶ 丸顔で30歳ぐらい 道を尋ねる振りし、階下の家へ」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『中日新聞』1988年3月20日朝刊第一社会面23面「名古屋・中川区の若妻惨殺事件 絞殺後に腹部切る 殺害は午後3時-夕方」
- ^ a b c d e f g h i j k l 『毎日新聞』2003年3月9日中部朝刊第一社会面25面「名古屋の妊婦殺害事件、18日で15年 遺族『時効が憎い』」(記者:岡崎大輔)
- ^ a b c d e f 『中日新聞』2003年3月18日朝刊第一社会面35面「中川の妊婦殺し 時効」
- ^ a b c d e 『読売新聞』1988年3月19日東京朝刊第一社会面27面「臨月の主婦、惨殺される 自宅で手縛られ 赤ちゃんは体外で生存/名古屋」
- ^ a b c d e f g h i j k 『中日新聞』2003年2月17日朝刊第一社会面35面「中川の妊婦殺害 時効まで1カ月 手がかりなく絞れぬ犯人像 愛知県警『丸刈り・小太り』の男追う」
- ^ a b c 『朝日新聞』1988年3月21日朝刊第一社会面31面「『ヘソの緒』は切られていた 名古屋の妊婦殺人」
- ^ a b 『毎日新聞』1988年3月21日東京朝刊第一社会面27面「名古屋で殺された臨月主婦の切り裂かれた腹部に電話器や人形」
- ^ a b 『毎日新聞』1988年3月19日東京朝刊第一社会面27面「名古屋で臨月の女性が腹を切りさかれ殺される 新生児は無事」
- ^ 『読売新聞』1988年3月19日東京夕刊第一社会面15面「臨月の主婦惨殺 現場近くに不審な車 『悲鳴聞いた』の証言も/名古屋」
- ^ a b 『中日新聞』1988年3月19日夕刊第一社会面15面「名古屋・中川区の若妻惨殺 変質者かえん恨の犯行?隣室の空き家に不審な男 襲ったのは白昼か」
- ^ a b c d e f 『毎日新聞』1988年4月3日東京朝刊第二社会面26面「妊婦惨殺事件で奇跡的に助かった赤ちゃんが15日ぶりに退院」
- ^ 『朝日新聞』1988年3月19日夕刊第一社会面15面「名古屋の若妻殺し、首にもコード」
- ^ a b c d e 『朝日新聞』1988年3月20日朝刊第一社会面31面「若妻殺し、幸運重なり赤ちゃんは無事 成長十分、的確な処置」
- ^ a b c d 『毎日新聞』1988年3月20日東京朝刊第一社会面27面「臨月の主婦惨殺事件で小学生が『不審な男』を目撃していた」
- ^ a b c 『中日新聞』1988年4月2日夕刊第一社会面11面「名古屋・中川区の若妻惨殺 “奇跡の赤ちゃん”退院 父に抱かれスヤスヤ」
- ^ a b 『読売新聞』1988年3月20日東京朝刊第一社会面27面「名古屋市の身重主婦惨殺 絞殺の跡に凶行 赤ちゃんは元気を回復」
- ^ a b 『朝日新聞』2003年3月2日第二社会面26面「遺族『時効なければ』 絞れぬ犯人像 名古屋の妊婦殺人【名古屋】」
- ^ a b c d e f 『読売新聞』2003年2月6日中部朝刊第一社会面31面「名古屋・中川の妊婦殺害、来月18日に時効 県警、『丸顔の男』必死で捜査」
- ^ a b 『中日新聞』1989年3月15日夕刊第二社会面8面「糸口つかめず捜査への協力を呼び掛け 妊婦殺し、18日で1年 愛知県警の捜査本部が街頭活動」
- ^ a b c d e 『中日新聞』1989年3月17日朝刊第一社会面31面「名古屋・中川区の妊婦惨殺あすで1年 新たな不審男 現場付近で『尾行された』と主婦」
- ^ a b c d e f g 『中日新聞』1990年3月19日朝刊愛知県内版13面「犯人像いまだ浮かばず 名古屋の妊婦殺し 苦心の捜査、丸2年」
- ^ a b 『読売新聞』2003年3月18日中部朝刊第二社会面36面「名古屋・中川の妊婦殺人事件 時効成立 愛知県警が4万人投入」
- ^ a b c d 新潮45(2002)、p.152-153
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- ^ a b c d e f g h i 新潮45(2002)、p.157-159
- ^ 新潮45(2002)、p.159
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