吉原馬雀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/26 16:25 UTC 版)
来歴
1982年7月22日、宮崎県[3]宮崎市[1]瓜生野出身[2]。日向学院中学校・高等学校を経て、明治学院大学法学部を卒業[2]。大学時代には、落語研究会に所属した[2]。
大学卒業後社会人を経て、2009年12月に三遊亭歌之介(現 四代目三遊亭圓歌)に入門する[2]。2010年7月、前座となる[1]。前座名は「ございます」。かつての兄弟子に「三遊亭ありがとう(現在は義太夫節三味線方の鶴澤卯太吉)」がいた[4][5]。
2014年11月、柳家緑太、柳家花飛と共に二ツ目に昇進し、三遊亭天歌と改名した[1]。2016年4月より、宮崎市の「ふるさと先生」に任命される[1][2]。
2022年2月下旬に師匠との間に破門をめぐるトラブルが起き、その対立関係の影響で落語家活動の休止に入る。同年10月、師匠の圓歌が正式に破門を認めたことで師弟関係が終了。演芸情報誌「東京かわら版」では「師弟関係のもつれにより一門を離れた」と報じられた[6]。
「元・師匠」となった圓歌に対し、積年の被害についての民事訴訟に専念するため、活動休止の状態が続いていたが、本人は落語協会で落語家活動を続けるとしていた。また、当時は師匠が居ないことで襲名可能な名跡も無いため、次の師匠が決まるまでの暫定措置として本名を便宜上の活動名義として、落語協会のホームページでも本名で紹介されていた(引き続き協会員ではあるものの、紹介欄自体が削除されていた)。
2023年7月20日、三遊亭はらしょうのYouTube配信に出演し、四代目吉原朝馬[注釈 1]門下に「再入門」することを公表した[8]。高座名は新たな師匠の朝馬と朝馬の甥弟子[注釈 2]となる十一代目金原亭馬生とも相談し吉原
2024年1月26日、東京地方裁判所で圓歌に対する損害賠償訴訟の判決で、杜下弘記裁判長は圓歌によるパワーハラスメントを認定し「暴行を伴う苛烈な叱責を加えており、社会的に許容される範囲を逸脱している」として、圓歌に対し馬雀へ80万円の支払いを命じた[10]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f “三遊亭天歌(落語協会公式)”. 2018年10月30日閲覧。
- ^ a b c d e f “公式ホームページ”. 2018年10月30日閲覧。
- ^ “宮崎県出身の落語家・三遊亭天歌さん(日向経済新聞)”. 2018年10月30日閲覧。
- ^ “第458回 花形演芸会、満員御礼!”. 三遊亭天歌の奇妙な冒険. ameba blog (2017年7月22日). 2019年6月10日閲覧。 “歌舞伎義太夫 三味線方の鶴澤 卯太吉 (つるさわ うたきち)さんが楽屋にやってきてくださいましたー(略)ありがとう兄さんですー”
- ^ “【研修修了者インタビュー 鶴澤卯太吉(つるさわうたきち)(平成29年3月第22期竹本研修修了)※令和元年8月掲載”. 国立劇場. 独立行政法人 日本芸術文化振興会. 2022年10月31日閲覧。
- ^ 佐藤友美 編『東京かわら版 2022年12月号 一行情報』東京かわら版、2022年11月28日、109頁。
- ^ 総会議案(本文) - 元・三遊亭天歌の奇妙な冒険(amebaブログ)2023年6月6日
- ^ 元・三遊亭天歌 [@yusaku3dayo] (2023年7月20日). "【おしらせ】". X(旧Twitter)より2023年7月20日閲覧。
- ^ 元・三遊亭天歌 [@yusaku3dayo] (2023年7月21日). "たくさんのお祝いのメッセージありがとうございます。 新たな高座名については、はらしょう兄さんのチャンネルにてご案内させていただきました。". X(旧Twitter)より2023年7月21日閲覧。
- ^ 四代目三遊亭円歌さんのパワハラ認定、すのこ板の上で弟子に正座強要…「暴行を伴う苛烈な叱責」 - 読売新聞 2024年1月26日
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