北ドイツ福音ルター派教会 北ドイツ福音ルター派教会の概要

北ドイツ福音ルター派教会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 02:25 UTC 版)

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基礎データ
Fläche: 40.227 km²[1]
指導教職者: 州教会監督
クリスティーナ・キューンバウム=シュミット
監督執務地: シュヴェリーン
州教会事務局: キール
支所シュヴェリーン
加盟教会組織: VELKD
EKD
ÖRK
LWB
客員資格で加盟UEK
教区
(Sprengel):
3
教会地区
(Kirchenkreis):
13
教会共同体
(Kirchengemeinde):
995[2]
教会員数
(Gemeindeglieder):
1.924.677 (1. April 2020) [3]
全州民における
教会員比率:
29,8 % (1. April 2020)[3]
公式サイト: www.nordkirche.de

歴史

2006年10月、ポンメルン州教会総会は長時間に及んだ討議の後、メクレンブルク州教会との統合、ベルリン=ブランデンブルク=シュレージシェ・オーバーラウジッツ福音主義教会 (EKBO) との連携を試みることを明らかにした。2007年2月に、ノルトエルビエン福音ルター派教会 (NEK) がメクレンブルクとポンメルンの州教会にノルト (Nord) 教会 (北ドイツ福音ルター派教会) 設立に関する会談を提案した。2007年3月17日、ポンメルン州教会はノルトエルビエン福音ルター派教会 (NEK) との別の形態を調べることを表明した。2007年3月31日、メクレンブルク州教会がPlau am Seeにおいて、ポンメルン州教会と同様に北部教会設立に関する協議に加わることを表明した。2007年6月14日、リューベックにおいて、教会統合を進める3教会合同の分科会が統合検討協議会を開始した。2007年11月26日、シュヴェリーンにおいて、州教会統合に関する協議が開始された。2008年4月28日、ラッツェブルクにおける会議の後、州教会指導部はノルト教会監督と教会事務局をリューベックに置くことを公表した[4]

2009年2月5日、3つの州教会の代表者によって、統合協定がラッツェブルク大聖堂で署名された[5]

2009年3月28日、ラッツェブルクとプラウ・アム・ゼー、ツュスーオーにおいて同時開催された3つの州教会総会が統合協定に賛成した(3分の2の賛成が必要)。ラッツェブルクにおけるノルトエルビエン福音ルター派教会 (NEK) 総会は128人中102人の賛成を得た。ツュスーオーにおけるポンメルン福音主義教会 (PEK) 総会は58人中44人の賛成、プラウ・アム・ゼーにおけるメクレンブルク福音ルター派州教会 (ELLM) 総会は56人中39人の賛成を得た[6]

統合協定締結後、3州教会の連合体が教会規則(教憲)を作成し、決定することになる。その連合体は公法上の社団である。さらに、合同した州教会執行部と教会規則(教憲)を制定する総会を形成することになる。2010年10月31日(宗教改革主日)に、その総会は統合に関する討議をおこなうことになっている。

2009年5月26日、北ドイツ福音ルター派教会 (VELKN) 設立を担う協議会がハンブルクで開催され、2012年1月1日とされていた教会統合予定日を2012年5月27日(聖霊降臨日)に変更することを決定した。新教会設立を教会の重要祝日と結びつけるためにこの日が選ばれたのである。3つの州教会のメンバーたちは関係を持つために、テーマを掲げた学習会と交流会を開催することになっている。さらに、神学、教会規則、教会財政、執行体制、業務、および拠点移動に関するテーマを持った10の作業グループが作られる[7]。その執行部の議長はゲルハルト・ウルリヒであり、ハンス=ユルゲン・アプローマイトが第1副議長、アンドレアス・ファン・マルツァーンが第2副議長に選出された。

2010年9月17日と18日に開催されたルートヴィヒスルストでの教会指導部の討議において、教憲制定総会に向けた提案が作成された。さらに教会指導部はノルト福音主義教会という名称を提示した。なおその時点で北ドイツ福音ルター派教会という名称も言及されていた。当時の教憲草案には129の条項が有り、施行規則も協議された。

州教会監督
ゲルハルト・ウルリヒ(2009)

2010年10月29日から31日まで第1回教憲制定総会がトラフェミュンデで開催された。そこで教憲草案に関する最初の討議がおこなわれた。教憲第一次案を多数決で承認した。総会での激しい議論の後、総会代議員たちは北ドイツ福音ルター派教会という名称も多数決で決定した。その後、2011年夏までに教会指導部と諸集団において教憲に対する承認を得るために準備を開始することになった。計画通り、2012年の聖霊降臨日にこの統合が実施され、ドイツ福音主義教会内において5番目の規模を持つ州教会が設立された。

信仰告白

全体教会の教憲は神学的・教会法的原則を決定している。教憲には基本条項、教会共同体、州教会、職務、働き、財政規則、権利保護の定義づけがなされている。

2012年1月7日、北ドイツ福音ルター派教会は教憲を制定した。教憲前文にはルター派教会1530年アウクスブルク信仰告白、アウクスブルク信仰告白弁証、シュマルカルデン条項、ルターの小教理問答大教理問答和協信条を信仰告白として規定している[8]。さらに、北ドイツ福音ルター派教会はイエス・キリストによる福音を告白する際に、古代教会とルター派教会の信仰告白と共にバルメン宣言にも従うことを表明している[* 1]

キリスト教会は信仰確立[* 2]と教義確立の歴史[* 3]を有している。

設立

新しい教会は、3階層で構成される。それは州教会 (Landeskirche)、教会地区 (kirchenkreise)、教会共同体 (Kirchengemeinde) である。州教会は、その各階層で公法人上の社団の資格を有する。州教会は、運営に関する規定、財政規定、および法人定款規定に基づく規則を持つ。

州教会監督 (Landesbischof) の在住地はシュヴェリーンであり、州教会事務局の所在地はキールになる。この統合される教会は州教会という最上階層において、共に責任を担う総会、州教会執行部、教区に置かれる州教会監督によって運営される。教区に置かれる監督はシュレースヴィヒ、ハンブルク、グライフスヴァルトに所在地を持つ[10]

従来のメクレンブルク福音ルター派州教会の管轄地域において、メクレンブルク教会地区 (kirchenkreise) が以前あった権限を継承して設立される。従来のポンメルン福音主義教会の管轄地域において、ポンメルン教会地区 (kirchenkreise) が以前あった権限を継承して設立される。


注釈

  1. ^ 教会は三位一体の神による神の言葉によって設立されている。北ドイツ福音ルター派教会はイエス・キリストの福音に従うことを告白し宣言する。そのイエス・キリストの福音は、古代教会とルター派教会の信仰告白で示されているように、新旧約聖書において証しされている通りであり、バルメン宣言においても新たに告白されている
  2. ^ キリスト教信仰確立の歴史としての、イエスの復活信仰の確立、ナザレのイエスの死を通しての贖罪信仰の確立、主イエス・キリスト信仰の確立・終末信仰の確立については、キリスト教#歴史を参照。聖書は神の言葉という信仰の確立については、旧約聖書#神の言葉として成立した聖書の歴史を参照。
  3. ^ 聖書に書いてある通り、ナザレのイエスは処女マリアから生まれたと信じる。聖書に書いてある通り、罪がないナザレのイエスは死刑になったが、死んでから三日たってからまた生き返ったと信じる。聖書に書いてある通り、ナザレのイエスはみんなの見ている前で、天に昇って行き、再び天から降りてきて、最後の審判の時に、今現在生きている者と、すでに死んだ者とをさばき、すでに死んだ人でも生き返り、イエスを救い主と信じる人は、神の国が到来したら、新しい命がもらえると信じる。指導者が聖霊に満たされて語る言葉は、神の言葉とされているので、聖霊に満たされて書かれた聖書は、神の言葉である。[9]

出典



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