信念の勝利 監督レニ・リーフェンシュタール

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信念の勝利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/31 13:31 UTC 版)

監督レニ・リーフェンシュタール

後に『意志の勝利』や『自由の日! – 我らの国防軍』を監督したレニ・リーフェンシュタールは、1933年の党大会の映画の制作を、ヒトラー自身から直接依頼された。ヒトラーは、リーフェンシュタールの芸術的才能を気に入っていた。党大会の記録映画『信念の勝利』は、単に出来事を伝えるだけの作品ではなく、観る者の感情に訴えかけるプロパガンダとなっている。この、ルポルタージュ映画として制作されたプロパガンダ映画には、情報はより乏しくしか盛り込まれていないが、観る者に示唆を与え、印象を刻むものであり、それはヒトラーとリーフェンシュタールがほぼ同じく目指すところであった。

リーフェンシュタールへの打診は、1933年5月17日に、ヒトラー政権宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスを通して行なわれた。ゲッベルスの日記には「午後。レニ・リーフェンシュタール。彼女の計画を説明される。こちらからはヒトラーの映画を撮ることを提案。彼女は喜んでいた。」と記されている。しかも、ヒトラーは、リーフェンシュタールに強い印象を受けていた。しかし、彼女にはドキュメンタリー映画の経験はなく、ナチス党員でもなかったことから、この計画は、党内から反発を受けることになった。この時点で、リーフェンシュタールと、それまでナチス党大会の映画を撮り続けてきたアルノルト・レーター (Arnold Raether) との間で衝突が大きくなりつつあった。党の意向は、両者を協力させようとしたが、それは叶わず、ふたりの監督の権力闘争となり、芸術的才能の優るリーフェンシュタールは独断で事を進めた。完成段階のバージョンからはレーターの名は完全に排除された。




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