京城・昭和六十二年 碑銘を求めて
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あらすじ
西暦1987年(昭和62年)。朝鮮人の木下英世は、野口グループ傘下の半島軽金属株式会社という会社の課長であり、無名の詩人でもある。しかし内地人が英世を出し抜いて部長に昇進したため出世コースから脱落し、内地人のために朝鮮人が内地人に比べて差別を受けることを不当に思うようになる。
英世は安重根の伊藤博文射殺により日本が第二次世界大戦に負けたとする歴史改変SF『東京、昭和61年の冬』(著者:高野達吉)を読んで日本への反感を思い出し、日本が指定した禁書である『独思随筆』(著者:佐藤壽一)を読んで日本の主張した公式的な歴史に疑問を抱くようになる。清州の叔父を訪問している時に偶然竹山朴氏の系譜を読み、それを見た叔父から朝鮮の言語と歴史について聞かされた英世は、朝鮮人はスサノオノミコトの子孫であり、数千年前に神功皇后が朝鮮半島を征服したという日本の歴史は嘘だったことを知る。帰り道に『朝鮮古歌撰』(著者:藤原孝第)を古書店で買った英世は、崔致遠とションジサンの韻文を読み、朝鮮の歴史や言語についてさらに詳しく調べ始める。京城帝国大学(城大)図書館では韓仏辞典を借り1971年(昭和46年)版のブリタニカ百科事典で朝鮮について詳しく調べ始めた。
元山に住んでいた義母が死亡し、葬式のため安辺郡に行き、その途中で高山群を見て小共という僧侶に会い、朝鮮語をいまだに覚えていた小共は英世に韓龍雲の「様の沈黙」を朝鮮語で朗読する。小共は間もなく死ぬが、英世は韓龍雲の衣鉢をいつか他の誰かに伝えなければならないという使命感を持つようになる。
会社で内地への出張を命じられた英世は京都帝国大学図書館で三国遺事、三国史記などの朝鮮の昔の歴史の本を見つけ、コピーして朝鮮に帰って来るが、その間、日本で起きた政変以降強化されたセキュリティチェックのために金浦空港から入国途中、発覚して警察に逮捕された。拷問と尋問を交互に受けていた彼は、「全鮮思想報国連盟」の白山に教育を受け連盟に参加することになる。彼から転向した香山光郎先生の話を聞いた英世は、混乱を感じるようになる。しかしながら英世は釈放後、朝鮮独立の必然の理由を悟って、いつかくる独立のその日のために、次の人が来るまで待つことに決心した。
しかし、彼は、妻が自分の釈放のために靑木少佐に身を許したことを知る。英世は妻の誕生日に彼が家に招待した靑木が酒に酔って英世の中学生の娘惠子にセクハラするのを見て、最終的に彼を釣り糸で締めつけ、殺害した。結局、英世は家を出て、その名前のみが維持される上海の大韓民国臨時政府へと去る。
- ^ 卜鉅一、「碑銘を求めて」上(《비명을 찾아서》 상)、ISBN 89-320-0979-1、文学と知性社(문학과지성사)、2010、p.9。
- ^ 卜鉅一、「碑銘を求めて」下(《비명을 찾아서》 하)、ISBN 89-320-0980-5、文学と知性社(문학과지성사)、2010、p. 52。
- ^ 現実では大東亜戦争(太平洋戦争)時、ブーゲンビル島上空で米陸軍機の攻撃により戦死している。
- ^ 「碑銘を探して」上、p. 70。
- ^ 現実では1970年(昭和45年)に市ヶ谷駐屯地で割腹自決を遂げた。
- ^ 「碑銘を探して」下、p. 226。
- ^ 「碑銘を探して」下、p. 47。
- ^ 「碑銘を探して」上、p. 10。
- ^ 「碑銘を探して」上、p. 43。
- ^ 「碑銘を探して」上、p. 11。
- ^ 「碑銘を探して」上、p. 25。
- ^ 「碑銘を探して」下、p. 41。
- ^ 「碑銘を探して」上、p. 251。
- ^ 「碑銘を探して」上、p. 69。
- ^ 「碑銘を探して」下、p. 139。
- ^ 「碑銘を探して」上、p. 89。
- ^ 「碑銘を探して」下、p. 242。
- ^ 「碑銘を探して」上、p. 248。
- ^ 「碑銘を探して」上、p. 77。
- ^ 「碑銘を探して」上、p. 250。
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